(3枚目) 失われたコメント (Pixiv Fanbox)
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前回のあらすじ
お絵かき掲示板にエロ絵を初投稿したり、漫画を描いたり、お絵かきをがんばっていた らすとー だったが、また入院。
黒歴史ノートより(2005.11.7) 苺ましまろの二次創作のアイディア
「同人誌に苺ましまろの二次創作を描いてくれ」と漫画研究会の後輩に頼まれて考えていた「茉莉ちゃんが旅館の男湯に入る漫画」。「なんだいつものらすと~か」と思うかもしれないが、この頃はまだ男湯の絵は一回も描いていなかった!
この企画は立ち消えになったが、これが1年後の同人活動開始につながる。
黒歴史ノートより(2005.11.8) 漫研用1ページ漫画のアイディア
当時の私は手術した目が真っ赤に充血しており、人前では常に眼帯をしていた。そのことから思いついた裸眼帯の漫画。完成した漫画はセクシャルハラショーのブログ開設後、一番古い記事として公開していた。
初出 : 2006.11(セクシャルハラショーブログ) 漫研での発表は2005.11.21
5コマ目でお腹にシワを描きすぎているが、まだ体が描けなかった証拠として直さず載せる。(ブログ掲載時はシワを消していた。)
この漫画を発表した数日後、再び入院。今度は東京の病院へ送られ再手術、前回以上に苦しい日々を送ることになってしまった。今は亡きエロフラッシュサイトの絵をスクショしてプリントアウトしたものを小さな手帳に貼り、それをトイレの個室で眺めるなど、涙ぐましいことをして乗り切った。また、新隔離板を教えてくれた友人は東京に住んでいたので、ふしぎ星の☆ふたご姫 の同人誌や、sol-fa-soft の新作を買って来てもらったりした。病室のテレビで、それまでBSで見ていた ふたご姫 を初めてリアルタイムで見た。
退院して故郷に帰ってきたときには、すでにクリスマスになっていた…。
歪んだ視界は、これ以降良くも悪くもならなかった。
入院生活から開放された私は再び元気な女の子の絵を描きまくった。
年が明けて2006年1月20日、裏隔離板に3度目の投稿をした。
完成した絵のスクショ
「わぁ・・・・・・○○さんのはだか、すごくキレイだよ。」
「やだぁ、はずかしいよぅ・・・。
転校しても私のことわすれないでね。」
なんと、この絵についたコメントのスクショは現存しない!
書き込んだ日付も、閉鎖したブログに書いていなかったら「不明」と書くところだった。おそらく絵とは関係のない雑談コメントがついてしまい、残しておきたいと思わなかったのだろう。
(4枚目につづく)
セクシャルハラショーブログより、バナー画像
次回はとうとうハンドルネームが「らすと~」になるよ!