(1枚目) 2005年らすと~誕生 (Pixiv Fanbox)
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2005年夏、網膜剥離で入院し、術後、片目が使い物にならなくなってしまった私は失意のどん底にあった。退院した後、とにかくたくさん絵を描きたかったが、利き目の視界が歪み、もうペンと紙の距離もわからない。辛い現実から逃れるため、新しい刺激が必要だった。
そんな時、中学時代の友人が教えてくれたのが、お絵かき掲示板「新隔離板(21禁)」だ。(実は、この時私はまだ21歳未満だった。)
「新隔離バン」なのか「新隔離イタ」なのか今でも正しい読みは分からない。掲示板(けいじバン)なのだから、「隔離バン」だろうと思っていた。素晴らしい絵がいっぱい投稿され、コメント欄はたくさんの書き込みで賑わっていた。ギャラリーの目は厳しく、緊張感が常に漂っていたように思う。板には練習用の「らくがき板」こと「裏隔離板」があり、そこには友人(絵描きではない)のらくがきもあった。ハンドルネームが彼のあだ名そのままだったのですぐに分かった。
私はエロ絵描きではなかったが、「半年ROMる」ということも知らずに早速そこに書き込んだ。幸いお絵描き掲示板には慣れ親しんでいたので、本当に気軽に描くことができた。友人に私の書き込みだと分かるよう、中学時代ふざけて言い合っていた「らすとー」という言葉をハンドルネームにした。意味はそのまんま、「最後」だ。最初の書き込みなのにね。
投稿後、すぐに温かいコメントが「らすとー」を迎えてくれた。
このコメントの中のどれかは、もしかしたら友人が書き込んだものだったのかもしれない。が、私を元気づけるにはどのコメントも効果抜群だった。私は片目が見えているうちにエロ絵に挑戦しようという気になり、早速資料に買ったエロ本の成人女性のポーズをノートに描き写し、エロい絵の練習を始めた。
(2枚目につづく)
投稿された絵
Wayback Machineで探したら、表の板、当時の絵がアーカイブされてるじゃないですか!!
うわ~懐かしい!あの人もここで描いてたんだ…。