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 というわけでちょっとリアリティの話をします。リアリティというか「それっぽさ」ですね。




例えばこれは「服に見合う身体」で、主人公の風真がでかくなって、自分の体にいろいろ驚いた後初めて立ち上がった時のシーンです。





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(目線、たっけえ……)


 今までとは部屋の見え方が何もかも違う。前を向いたらエアコンが目線の先にあるってどう言うことだ。シーリングの照明も光が眩しいくらいに近くて、まるで椅子の上に立っているかのような高さ。だけど足を滑らせて感じるのはい草の感触で、畳の上に立っていることは間違いない。


洗面所にいこうとキッチンに続く引き戸を振り返れば、鴨居に頭が当たるどころではない。目線どころか顔が完全に鴨居の上にあり、立ってるだけで鴨居の縁に積もる埃を見下ろせる。


 曲げていた膝を伸ばして直立する。鏡から頭や肩がはみ出していき、腹筋から太ももまでしか見えない角度になる。だが今目に入るのはその真ん中……ハーフパンツをいびつに盛り上げている股間部分だ。


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 背の高くなった自分の視線の高さを描写しているシーンですね。一人称視点なので、自分が見ている視界を具体的に表記することで風真のでかさを表現しようとしています。


 風真の身長は大体210~220cmぐらいを想定していて、じゃあ具体的に風真の視界をどう書くか。私は身長が212cmあるので立った状態の自分の視界をそのまま書けばいい……とか言えたらいいんですがそういうわけにもいかない世の無常。じゃあそうでない場合はどうするか。想像で書くのもひとつの方法ですが、この場合は椅子や脚立に立つのが手っ取り早いですよね。(※脚立はともかく、椅子の上に立つのは危ないので自己責任になりますが)

 身長170cmで椅子の高さが40cmならば210cmの視点が疑似体験できます。実際「照明が目線の先にあって眩しい」ってのは170cmの視点では気づかないかもしれません。気づかなければ想像もできないので、これは210cmの視点でないと書けなかった箇所ですね。鴨居や洗面所の鏡の箇所も、実際にその視点を経験することで書けたところがたくさんあります。そういうところは単なる想像ではなく「実体験」になるので、リアリティが出ているのではないかなー……と、思ってます。


 で、これが通じるのが大体身長250㎝ぐらいまでかなと思います。3mぐらいになってくるとちょっと大がかりな脚立が必要になってきますし、10m、20m、100mとなってくるとなかなか「体験」は難しい。ビルや展望台を使えば視界の体験は可能ですが、「よっし450mの巨人を書くからスカイツリーの展望回廊に行こう!」ってのは時間的にも金銭的にもなかなかできませんよね。

 そういう時に私がよく使うのが「計算」です。実際に100倍の巨人がいたら手や足の大きさはどのぐらいで人間はどのぐらいの大きさに見えるのか……ってのを計算で出します。例えば身長170mなら足のサイズは27mで電車は一両の長さが20m。それならひと踏みでつぶせるな……とか、そういう風に計算をします。「小人収穫バイト」とかは多くがこの計算でできています。


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そしてちょっと目線を下げると、ビルが立ち並んでいる。屋上には庭園があったりヘリポートがあったり、結構ビルによって違うんだこれが。さらに下を見ると片側二車線の道路があって、俺は左足で二車線、右足で二車線を使ってその道路に立っていた。足元から悲鳴が聞こえてくる。右足を動かすと、俺の足の半分もない白のワゴン車が出てきた。ぺちゃんこにつぶれてアスファルトに埋まっている。


適当なスーツを着た男に手を伸ばして、上から親指と人差し指でつまみ上げる。男は必死にバタバタと手足を動かすが「暴れると落ちるぞー」というと弱々しく動きを止めた。そのまま左の手のひらにぽんと置く。お兄さんってとこか。50号だから小指ほどのサイズもない。ゆっくり手のひらを顔に近づけるとお兄さんが悲鳴をあげる。


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 こういうとこですね。例えばこれは実質50倍の巨人なので、170cmの人間は50分の1で実質3.4cmぐらいになる。定規でそれを測ると指一本分もない……ってとこで計算×疑似体験って感じで書いてます。ビルや電車とかも理屈は一緒です。まあ、実際に50倍の巨人になればこんな計算もしなくてすみますが、巨人になるのが難しいときとかは便利ですよね。



最後は「想像」ですが、なんというかこれが一番難しい。要するに頭の中で「実際にこうしたらどうなるか?」を考えるところです。例えば「歩く」一つとっても「巨人の体重にアスファルトは耐えられるか?」「地下の構造物を踏みぬいたりしないか?」「歩く時の振動は?」「足で巻き込み風は起きる?」など、考えられることはたくさんあります。こういうのは「体験」はもちろん「計算」も難しいので(すっごい数学の知識が必要になる)私は「想像」でそれっぽさを優先して書くようにしています。アスファルトの話で言うなら、体重に耐えられずアスファルトが割れて陥没した方が「巨人っぽい」ですよね?

 あとこれはリアリティと相反するんですが、もし実際には割れなかったとしても、割れた方が”いい”ですよね? ある程度リアリティは抑えつつも”いい”とこはそれっぽさを重視して表現したほうがいい……となる箇所もそこそこあったりします。リアリティって何のため?って言えば結局読んでくれる方にのめり込んでもらうためなので、その目的に沿うのなら「それっぽさ」を優先するのも全然ありだと思ってます。




おまけ


 やっぱ「体験」ってのはすごくて、いろんな発見があります。先ほどは椅子の例を挙げましたが、こういうのも疑似体験の一環です。




 戦隊もののおもちゃなんですが、これ大体20㎝ぐらいで、扱い方によっては10倍巨人ぐらいのサイズを疑似体験できるんですよね。手のサイズぐらいとか足より小さいとかは計算でもわかるんですが、「握手をしようとすると腕ごと握ってしまう」ってのはこのおもちゃがないとわからない経験でしたね……今後はこういう経験も活かしていきたいなって思います。


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