鼻 -Nose- (Pixiv Fanbox)
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活動のジャンル柄、私はこれまでいろいろな責め具や拘束具をそこそこの数描いてきました。基本的な麻縄やボールギャグはもちろん、首カセとかハーネスとか。今ではそれらSMアイテムの機能や呼び名にヘンに詳しくなってしまって、たとえば電マを海外の愛好家の間では「HITACHI」と呼ぶというのも最近知りえた情報です。そうです、電機メーカーで有名なあの「日立」です。性能がいいのか何なのか(きっといいんでしょうね☆)、海外では日立製のそれが好まれる傾向にあるんだって。ファミコンのことをあちらでは「Nintendo」と呼ぶっていうのにちょっと似ているかもしれません。用途はそれぞれ全然違うけど。
この先私が「Nintendo」をイラストで描くことはないと思いますが(いや、ミランがゲーム好きなのでもしかしたら?)、「HITACHI」を始めとする責め具や拘束具の方はこれからもたくさん描いていくつもりでいます。そのつもりでいるのは確かなのですが、実は以前からずっと、もしかしたらある理由によって私には描けないかもしれないと思っているSMアイテムが一つだけあります。
鼻フックです。
革ひもなどを取り付けたJ字型のフックを両方の鼻孔にひっかけ、それを頭頂部あたりから引っ張り上げるように装着するアレです。こちらの会員の皆さんには改めてご説明する必要もないとは思いますけど、これを装着するとブタさんのような鼻になるので羞恥プレイのアイテムとして使用されるというのが、SM愛好家での一般的な認識でしょうか。
それを、ノンのやつが描けないかもしれない(とブツブツつぶやいている)とはどういうことか。
たとえば、端的に描くのが難しい、というわけではありません。鼻フックはボールギャグやヒタチ(もう覚えましたよね?)などの他の責め具に比べるとシンプルな構造をしているので、むしろ描きやすい部類のアイテムだと言えます。あるいは、ある種の美的観点からキャラの顔がブタさんのような表情になってしまうのでどうしても描きたくない━━とか、そういうわけでもありません。羞恥はSMにおいて大事な要素であることは一応こころえているつもりです。
構造の問題でもなければ美的観点からの理由でもない、「じゃあなんで描けないの?」と人は言うかもしれません。でも私としては、うーん…えっと、それが~…とならざるをえないワケがあります。
私のイラスト作品のどれを見ていただいてもいいんですけど、例として直近のミラ・比奈作品をちょっとご覧くださいね。
ここで注意して見ていただきたいのが、比奈のむちむちボディでもなくミランのハッピーそうな表情でもなく、それぞれの鼻です。ゴマのような黒い点をちょんと描いて終わりというのが、私がイラストで常用している鼻の描き方になっています。
もうお察しの方もいると思います。
「このゴマのような鼻に、あの鼻フックをどのようにひっかけて描けばよいのでしょうか…?」
それが、鼻フックを描けないことに対する私の回答です。まるでコンセントも何も付いていないまっ平らな壁に無理やりプラグを差し込もうとするようなむなしい行為にも似ている。これはちょっと無理かなあ…とどうしてもそうなっちゃう。描こうと思っても描けないものが世の中には存在するというのは一つの発見ではあるけれど。
もちろんこの問題は、「鼻フックをひっかけることが出来る鼻(いくらか立体的な鼻)」の描き方をもともと私が採用していれば生じないはずのものですが、イラストにおいて鼻をどう描くかというのはけっこう大きな問題だったりします。
鼻なんて別にどう描いてもそう大差ないのではと思われるかもしれません。私もかつてはそう思っていました。キャラクターの鼻があるだろうところに「鼻」って直接漢字で描いてあったとしても「ああ、鼻だ、ただの」と思うくらいには鼻のあり方について無頓着だった気がします。でも実際のところはそうではない。鼻の描き方一つでキャラクターの顔の印象がかなり変わってしまいます。
私のように点を描いて終わりという「ドットタイプ」は、現在よく見られる萌え絵の間では比較的主流をなしているものだと思いますが(ノンの絵は萌え絵なのかという問題はさておき)、この描き方を採用すると男女関係なくキャラクターが「幼い感じ、かわいい感じ」になるとされています。点のみで終わらず鼻筋や鼻翼(鼻の横のまーるいところ)も一緒に描写するような「立体タイプ」では、「大人びた感じ、キリっとした感じ」が出てくるようになります。
どうしてそんなふうに鼻の描き方で印象が変わって見えてしまうのか私も不思議に思っていたのですが、人には情報量の少ないものほど「かわいい」と感じてしまう習性があるのだそうです。ん? どういうこと?
赤ちゃんの顔を考えてみます。シミはもちろんシワの一本もなくゆで卵みたいにつるんとしていて、成人の顔と比較すると確かに情報量が少ない。他にも私たちは丸みを帯びているもの全般を「かわいい」と感じてしまうけど、角ばったりとんがったりした部分が少なくなるほど目につく頂点の数は減り、情報量は少なくなる。
その理屈に沿うなら何も描かれていない情報量ゼロのただの白紙こそが一番かわいいという言い分(というか屁理屈というか)も成り立つわけですが、こと鼻の描き方に関して言えば、極限まで情報量を減らすことでかわいらしさを最大限に引き出そうとした結果が、点を描いて終わりという、現在萌え絵業界で主流の鼻の描き方を生み出したのではないでしょうか。それならいっそうのこと鼻を何も描かなければかわいらしさはさらに増すのかと言えば、その場合は鼻として認識できないという別の問題が出てくるので話はちょっとややこしくなります。
ともあれイラストにおいては、まるでヴォリュームのツマミでもいじくるみたいに、鼻の情報量を上げ下げすることで、キャラクターはそれだけ子供のように幼くなったり、大人っぽく成長したりする。
そうやって考えてみると、かわいいイラストを見かけるにつけ、私たちはそのキャラクターのきらびやかな瞳に注意を向けがちだけれど、いわばその陰でこっそりキャラクターのかわいらしさを決定づけているのは、実は鼻なのではないかという気もしてきます。
鼻が顔の中心にあることの意味は、私たちが思っている以上に強く、深いのかもしれません。