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明治時代…いや、日本を代表する女流作家:樋口一葉。

現在5千円札の肖像としても知られていますが、活躍した期間は1年弱、更に24歳という若さで亡くなっています。 樋口一葉には16歳から亡くなる直前まで書いていた45冊の日記があります。それに書かれていた彼女の作家としての苦悩や生活を今日は紹介します。

【不幸な生い立ち】

樋口家は父親が下級役人ではありましたが比較的裕福な家柄で、一葉も学校に通っていました。しかし母親から女に学問は不要ということで成績優秀にもかかわらず11歳で無理矢理退学させられます。

それを見かねた父親は一葉を「萩の舎」という歌塾に入れます。元々素養があった一葉は上流出身の女性達にも負けずメキメキと当確を表します。

ところが一葉17歳の時に、父親の事業が失敗し多額の借金を残して病死してしまいます。それにより進んでいた縁談も破談になってしまいます。

兄も亡くなっていたために一葉は若くして樋口家の家督を相続することとなります。

【作家人生が始まるも…】

なんとか家計を支えなければならない一葉は、同じ塾に通う田辺花圃が小説を書いて、多額の原稿料を得たことを知ります。そんな田辺に刺激を受けた一葉は「小説を書けばお金になる」と考え、小説家を目指すようになります。

そんな折に新聞記者で小説家でもある半井桃水と妹の紹介で知り合い、師事をすることになります。

ところが今度は逆にそれが2人は交際しているとの噂を生んでしまい、一葉を桃水に迷惑をかけたくない為、絶縁することになります。

【一葉が作品で訴えたもの】

一葉は少しずつではあるものの小説を発表し原稿料を得ては居ましたが、それでも家計は逼迫していました。

なによりこの頃の一葉が編集者から求められたのは、売れるための大衆小説で、自分の書きたいものとは違っていました。

作家なら誰しもがぶち当たる壁と、生活苦のことで一葉は悩みます。

生活苦改善のため、1893年に一葉は小説家としての傍ら雑貨店を開きます。

「錦衣を望まず、高殿を願わず、千載に名を残すために書く」

作家としての誇りを持ち続けた一葉の言葉です。

この店の近くには吉原遊郭がありました。一葉はこれをきっかけに吉原の生活を知ります。身を売ることでしか生きていけない少女たち。それでもなお懸命に生きようとする彼女たちの姿は、一葉が描く作品の方向性を定めることとなります。

1894年に「大つごもり」

1895年に「たけくらべ」

を発表します。

一葉は遊女から上級官吏の妻と、様々な女性を書きました。それは身動きの取れない明治の女性の境遇を真正面から書き切ったものでした。

「にごりえ」はストーカー、「たけくらべ」は人身売買の話です。

「大つごもり」から14ヶ月の間に一葉は優れた作品を数々残していますが、文学史においてその期間は「奇跡の14ヶ月」と呼びます。

しかし一葉は、長年の過労から肺結核を患ってしまい、24歳という若さで亡くなります。

困窮にあえぎながらも自身の書きたいものを追求し続け、作家としての人生を歩み始めた矢先のことでした。

【樋口一葉は気高い作家】

一葉は薄幸の作家というイメージが強いが、私はそうは思いません。

活躍期間は短かったとはいえ、生きている時にすでに評価を得ていたし、日記の文章には彼女自身得意になっているところも見えます。

しかしだんだん不機嫌になっていき最後には諦めてるようになっていきます。

それは「女性作家」であるという周りの目に対してでした。

1895年は作家の顔写真が雑誌に初めて掲載された年でもあります。一葉も例外では無く「女性で作家」という好奇の目に嫌でも晒されたのです。まだ男性が社会の中心だと絶対的に思われていた時代です。

樋口一葉は最期の最期まで、女性の社会問題に対して真正面から向き合っていたのです。

私は樋口一葉の作品を見ていると、男女の差とかでは無く、人間としての気高さや生きることが何たるかを作品を通して歌い上げてるように感じてならないのです。

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