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戦後初の記念切手として発行された見返り美人図。作者は江戸時代を代表する浮世絵師:菱川師宣です。

菱川師宣はそれまで小説などの挿絵でしかなかった浮世絵を一つの独立した絵画作品として高めた人物です。

【菱川師宣とは】

菱川師宣の経歴はよくわかってません。

しかし彼が作った版本(版木に掘って印刷した書物)の前書きには、安房(現千葉県鋸南町)の生まれで子供の時から絵が好きで、後に江戸に出てから腕を磨いたと書かれています。

また、見返り美人図の落款(今でいうサイン)にも房陽 房国という署名があり、安房生まれであることを誇りに思っていたようです。

父親は縫箔師(布地に金銀箔を施したり刺繍をする職人)であり、小さい頃から仕事ぶりを観察して絵が好きになっていったようです。

彼の布地や染織加工の知識やデザインなどはここからきており、後に数多くの浮世絵美人を描く下地になっています。

【浮世絵の誕生】

江戸に出た師宣は最初、版本の挿絵画家としてデビューします。

その中で、師宣は庶民の様子を多く描きました。その中でも、生き生きとした女性を描きたいと考え、様々な帯や小物などを着た女性の暮らしを描いています。そのため彼は吉原遊廓や歌舞伎芝居小屋などを頻繁に出入りしスケッチしています。

それまで絵画というのは身分の高い武士や公家がお抱えの絵師に描かせるものであり、それが当時の常識でした。

師宣はそれとは別に、庶民が楽しめる手頃な絵があってもいい、と考えます。

そして彼は、江戸の町のタウン情報誌やガイドブックのような絵本を多く作っていきました。

これらが、庶民に大変人気が出て、菱川師宣の名が一気に知られる要因にもなりました。

更に木版画の一枚絵製作にも着手します。

それまで肉筆画は大変高価なモノでしたが、師宣は木版という手法で安く大量に庶民に普及させました。

まさに浮世絵とは、庶民向けの絵画芸術なのです。

代表例としては…

・歌舞伎の様子を描いた「角田川図」

・御伽噺の一部を描いた「酒呑童子 褒賞」

・遊女と酔っ払った客の絵を描いた「室内遊楽図」

が挙げられます。

【見返り美人図に見る師宣のこだわり】

見返り美人図を見ていると、師宣が如何に庶民の流行に対し敏感だったのかがわかります。

見返り美人図の女性がしている髪型は玉結びと呼ばれ当時江戸で流行していた髪型です。

緑色の帯を見てみても吉弥結びと呼ばれ、当時の人気歌舞伎役者がやった結び方で、これも江戸の女性に人気がありました。

つまり、見返り美人図は人気のあるファッションをしている女性を魅せるための構図なのです。

菱川師宣の画号である師宣とは、

師…諸々多くの人へ

宣…広める

という意味があります。

その号の通り、浮世絵を世に多く広めた師宣の後には喜多川歌麿や葛飾北斎、安藤広重らが出てくることになります。

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