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楽聖と呼ばれ名曲を次々に生み出したベートーヴェン。

故に彼を天才作曲家だと揶揄する声は多いが、彼は決して天才ではありませんでした。むしろ挫折と苦悩の連続の人生でした。

シューベルトの言葉が残っています。

「ベートーヴェンを理解するには優れた感受性が必要だ。失恋などで悲しみのどん底にいなければならない。」

【縛られないベートーヴェンの生き方】

ベートーヴェンが生きていた18世紀、音楽は貴族だけの物でした。宮殿で煌びやかに着飾った貴族達だけのために作曲し流されていました。

ベートーヴェンの人生は常に権力者に媚びず、常に民衆のために音楽を作る人生でした。そう言った音楽家はベートーヴェン以前では考えられない存在です。

当時のヨーロッパは民衆が帝政に対して遂に反旗を翻してきた時代であり、フランスではフランス革命からナポレオン戦争が起こるなど激動の時代でした。

【発達障害だったベートーヴェン】

モーツァルトは頭の中で音楽が常に完成されていたと言います。実際モーツァルトの楽譜は殆ど修正した跡がありません。

一方、ベートーヴェンは一つのメロディーだけでも何回も書き直しています。

ジャジャジャジャーンで有名な『運命』の冒頭も試行錯誤して下書きを繰り返し8回以上書き直した上で作られてます。更に散歩中に書き付けた紙切れやメモ、ノートのスケッチは7000点以上あります。

そして彼は今で言うところの発達障害だったのでしょう。(ファンの方すみません…)

ピアノの上にはカビの生えたパンが皿に乗っており、弾きながらでも用をたせるように設置していた簡易トイレからはこの世の物とは思えない悪臭が漂っていました。

朝から晩までピアノを弾き続け、近隣住民からの苦情や大家との喧嘩も絶えず、79回もの引っ越しをしています。

そんな環境でも彼は『エリーゼのために』や『月光』などの傑作を生み出しています。

【作曲に対する強い意志】

上記の苦悩の上にベートーヴェンは聴覚障害でもありました。作曲家にとってはかなりのハンディを背負うことになり自殺をも考えるまでになります。

しかしベートーヴェンは自らの手記にこう綴っています。

「私を生につなぎ止めているのは芸術だ。内なるものを表現し尽くすまでは、死ねない」

この頃ベートーヴェン32歳。

ここから彼は10年の間に6つの交響曲や協奏曲を次々と作曲します。この10年間は後に「英雄の時代」と呼ばれます。

それでも聴覚障害は日々を追うごとに進んでいき、50歳を迎える頃には全く聴こえなくなっており、思うような作曲も出来ず交響曲第八番を最後にパタリと止んでしまいます。

時代はナポレオン没後、再度のフランス革命を恐れて各国が民衆に対し更なる圧政や言論弾圧をするような時代になっていました。常に民衆のために作曲し続けてきたベートーヴェンは不屈の魂を持ってある曲を作曲します。

それが、交響曲第九番です。

自由・平等・博愛の精神を込め、シラーの詩にメロディーを付け、身分を超えた兄弟愛で人類が結ばれることを高らかに歌い上げた人類史に残る名曲です。

ベートーヴェンは第九を作曲した2年後に亡くなります。56歳でした。

最後まで民衆のために曲を作り続けたベートーヴェンの最期の言葉は

「諸君喝采したまえ、喜劇は終わった」

でした。

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