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「ねむりものこと」最終回、動画とかについてです。


 正直「ねむりも」はパパっとサクっと完成させてしまおうと思っていたのですが(実は6月頃にはほぼ出来上がっていた)、なんやかんや動画にえらい凝ってしまって考えるのが楽しくなってしまったのと、凝った結果動画制作ソフトのAviUtlの方がかなり重くなってしまって、プロジェクトを前半と後半に分けないとメモリ不足でエンコードすらできなくなってしまったのと、ちょうどかなり忙しい時期が重なったので、結果的にだいぶ遅れることになってしまいました。


 ...ということで、今回は楽しかった動画制作についての色々を書くこととします。(でも次回以降もずっとこれやってたら投稿すらできなくなるので、ほどほどに凝っていきたいと思います。)


もくじ

・動画の制作について

・楽曲世界観に関する小ネタ

・おわりに


・動画の制作について

 前作の「暮しガスメータ」が写真を多めに使って工程を削減したのに対し、今回は全編ほぼ描きおろし(手伝ってもらった部分も多い)で作ったので非常に時間がかかった。


 そのうえで、いろいろな「ここ変じゃないだろうか」とか「ここ見てて退屈じゃないだろうか」とかが気になったり、気になった結果悩むだけで筆が進まなかったり、とにかく直接作業を進める時間以外の時間が多くなってしまった。


 というわけで、今後は手数の多い、かついろいろな視覚的効果を考慮しなくちゃならない動画作成との付き合い方を考えなきゃいけないな…と思いました。(たぶん自分が無理くりプロジェクトファイルを膨れ上がらせて動かすより、技術のあるものが少ない工数でやった方が無駄のない、すっきりしたものになる。)


 そして、動画の視覚的な話で言うなら、A、Bメロなんかは枠で画面を狭めたうえで扁平な色使い、かつ遠景めな感じに作って、

サビの部分は可不ちゃんに寄って、背景の色数が多くなるようにした。

 あとは場面転換のときのズーム、それとサビの部分だけ青みをだいぶ増やしてステージの照明感と離人感(最後のサビは現実を受け入れるような表現がしたかったのでリアル目な色味にした)そういう色々の工夫を。

2サビ入り


 ちなみに画面内の処理については、それぞれのキャラクターとか素材とか一文字一文字を、全部別レイヤーに配置したうえで別々のエフェクトをかけている。


 例えばこの画面だったら

こういう風なつくりになっている。

というのを、画面がたくさん動くのが楽しくてバカバカ追加していったらファイル数が1000くらいになってしまい、AviUtlの方は動かなくなってしまった(前述のメモリ不足)ので、プロジェクトを前半と後半で分けてエンコードした。


(ちなみに、エンコードした前後半をつなぎ合わせた際に見つかったつなぎ目のミスを、修正して再エンコードする際に寝落ちてボカコレに間に合わなくなった。)


 最後の方は、詰め込みたかったので目まぐるしく場面が変わるようにして、視覚的に飽きないようにこだわった。

最後の方



・楽曲世界観に関する小ネタ



 ここからは考えていて楽しかったところを。正直見ている方には伝わらなくていいと思って描いた、完全に自己満足な部分の解説。なので完全にねむりもに対する、妄想の二次創作としてとらえてくれればなあ、と思います。ちなみに登場するキャラクターに関しては、あくまでも仮においている、架空の人物だと思ってください。可不ちゃんについても歌ってくれているだけなので、このお話においては可不ちゃんの要素を取って、単に「ねむりもちゃん」と呼称します。でもストピくんはそのままです。


☆サーカス団について

 サーカスでは、切断ショーとかをはじめとした、けっこう危ないこともやらされる(座長はそれを「わたしたちの伝統」として、誇りを持っている。)ので、たまに命をおとす者もある。


 いつまでもふさぎ込んでいたり、嫌々興行をしていたら命がいくつあっても足りないので、キャストたちは各々自分の置かれた状況に対して折り合いをつけていく。

 例えば、ある者は興行の日々を完全に受け入れて、なるべく可愛らしく、りりしく、望まれた役割を全うできるように日ごろから努めたり、ある者はエネルギーをなるべく温存して、危ないショーの時も集中できるように、休憩時間は常にじっとしていたり。

 その結果として、基本的にはサーカス団の雰囲気は重苦しいものにはならず、ある程度の穏やかな賑わいを保った状態で維持される。根元にあるのは恐怖だったりするけど、その上にしっかりと感情や情緒がはぐくまれるような土壌があるというわけ。

 だけど依然としてふさぎ込んでしまう子もいて、そこにほかの子が気を回してやったりするような場面もよくみられる。うまくすれば心をひらくし、そうでなければ不安定なまま回を重ねることになる。


 そうして次々と街をめぐっては興行を繰り返す。観光街、工業街、あるいはニュータウンなど、それぞれの街によって客層は様々であり、豊かな子たちが家族連れで見に来ることもあれば、あまり豊かでない層が、鬱屈とした毎日の清涼剤として見に来ることもある。どちらにせよ、観客側も「連続する日々から逃れられない」という意味では似たようなものなのかもしれない。だからサーカスがいるうちは、何度も何度も離人感と逃避を得るために足を運ぶんだろう。それでも逃げ切ることはできないけれど。


 サーカス団は一つの街にそれなりの間逗留して、双方に惜しい気持ちができたあたりで出立する。


 また、キャストのなかには行く先々の街でお気に入りの本やお菓子やおもちゃを見つけて、その土地のはやり歌なんかを覚えてくる子なんかもいる(そのとき持ち込まれたものが、サーカス団内に緩い文化を形成したりすることもある)。

 座長はサーカスの子たちに対して自分なりの愛情をもっているので、首輪はつけた状態だけど閉じ込めはせず、なるべく自由な時間を作るようにしている。その代わり自分から自然に、サーカス団に帰りたい(帰らなきゃ)と思うように育てる。


 そういう風に、危ない出来事と、それなりの自由さを両立させることで、サーカス団は基本的には内部からの瓦解をすることなく、かといって”目に見えるかたちでの”抑圧や強制力も発生せずに運営されている。「危ない興行」に対して、「苦しいけどどうしようもない」以上の感情を団員はあまり抱かないし、座長はいわゆる「いい人」にみえるので、恨みなどを向けることもあまりできない。じっさい、座長自身は自分のやっていることに対して、やはり後ろめたいような気持ちをもつことはないのである。


 しかし、本質的にサーカス興行がキャストたちにとって大変危険かつ精神に不可逆的な影響を与えることには変わりなく、前述のように、前のショーでは元気にやっていた子が、今回はもういない、なんてことも珍しい話ではない。

 サーカスを抜けるには、お客さんのなかにたまにいる、あしながおじさん的な富裕層のものに、里親みたいな感じで引き取ってもらう方法が今のところ主流で、座長もそれは推奨しているし、引き取り手がどんな者なのかは、その都度しっかりと自身で見定めるようにしている。お別れのさいには、思い入れのある子たちが手を振って送ってくれたりもするし、いい食事も出る。

 だけど実際にそんなにうまく話が運ぶことはごくまれで(運んだとして、その人が「本当に」いい人か、あるいは座長などの前で「いい人をするのがうまい」人なのかは分からない)、なんとなくキャストたちたちの間では「実現可能性の低いシンデレラストーリー」のように語られているので、やっぱり基本的には命尽きるまで精一杯、声を張って体を張って生き生きと興行に従事するほかない。


 「ねむりも」は、なんとなく、そういう感じのサーカス団に、わけあって所属することになったねむりもちゃんのことを書いたつもり。この前出した「眠りもあさいままで。」という作品集についても、全体を通してそこ周りのお話を書くようなきもちで、各曲をまとめた。


☆ストピくん、迷い魚について

 かなりわかりにくいが、ストピくんについては二つくらい小ネタがある。


・MV内でバンドを組むことを試みているが、結局はメンバーが集まらずにそのまま解散している。

↑左のポスターの下の短冊には連絡先が書いてあって(デモとか聞けるURLがあることもある)、そこから応募する。音楽スタジオとかでよく見る方式。


・途中隣の客に食べ物として見られていて、最終的に食べられている。

↑これは多分可不ちゃんの位置的に見えない。完全な自己満足。


の二つ。


 それから迷い魚についても、ついに本来の飼い主のところに帰ることはできないまま食べられてしまった(上の画像の右の方にいる)。

 ちなみにストピくん電燈アクリルキーホルダーの「ねむりも」バージョンは、食べられてしまったこのふたりのことを考えながら作った。迷い魚は、ひょっとしたら飼い主といる際に、後ろから捕食者の視線を感じて怖くなって逃げだしたのかもしれない。逃げ出した先で食べられてしまったけど…。


カブトガニ抱っこ会について

 ところどころに掲示されているカブトガニ抱っこ会のポスターについての妄想。


 カブトガニたちは、絶滅危惧種であるにもかかわらず、自分たちの青い血液の利用価値が科学的に高いことから、大量に自種が乱獲されていることを憂いて、「いっそのこと自分たちが正式に自分たちを売り出そう」と考えた。そうすれば利益は漁獲者や小売業でなく、カブトガニたち自身に入ることになる。そうしてためたお金で、自分たちの乱獲に対して、正式に何かしらの対策を打つことができると考えた。とはいっても、当然ながらそれは種全体としてもとてもつらい選択だった。


 まず、正式な販売業者としての自分たちを周知するために、人間などとの「ふれあい企画」を開く。そこでアイコンとして、キャラクターとしての自分たちを広めるとともに、その場でも自分たちを販売することで、カブトガニ公式販売の業態も世間に宣伝することができる(例えば、お祭りの日に友達が金魚の入った袋を持ってたら、自分も気になってその屋台を覗くかもしれないからね)。


 今回のポスターは、そういう趣旨の企画が開催される(された)という知らせらしい。


☆カブトガニが自分たちの仲間を人間たちに売る一部始終

 がやがや、ざわざわする抱っこ会場の裏方の倉庫で、カブトガニたちがひそひそと話し合っている。これは注文に対して、誰が売られに出ようかという相談である。


 当然のことながら「商品」として顧客に売り出すわけなので、買った方はカブトガニを愛でようが、さっさと血を抜いて処分しようが、どうするのも勝手なのだ。


 カブトガニたちの自分の命に対する重さは、人間のそれに対してかなり希薄なので、基本的に「集団を存続させるにあたって、有用なはたらきができるか否か」のみを基準にして、その場ですぐに売られる者を決定する。売られると決まったものも、自分の行く末のいろいろな可能性をすぐに受け入れ、簡易的な梱包の段階に入る。


 まず、売り物の背中の甲殻に「正規品」のシールをぺたりこと貼り付け、尻尾に青いリボン(血の色を表している)でちょうちょ結びをしてやり、希望によっては簡素な木箱やなんかに入れて、それからお客さんのもとにおくりだしてやる。


 例えお客さんが明確に悪意を持ってそうなブローカーだろうと、無邪気ゆえに簡単に生き物を死なせてしまいそうなこどもだろうと、あるいは一般的な核家族だろうと、カブトガニはなるべくの笑顔(伝わるんだろうか?)をつくって売り物をお客さんに手渡す。


 そして、ビニル袋の中からたまに、すべてを受け入れたカブトガニのちいさくって丸い両目が、売り場のみんなを、せめて目に焼き付けておこうと覗いたりもするのである…。



・おわりに

 こういったことをかんがえながら「ねむりも」という一つのお話を作りました。ねむりもちゃんの物語のみではなく、周りの色々ないきもの、カブトガニのことだったり迷い魚のことだったり、ばけもののことだったりストピくんのことだったり、ほかのキャストたちや座長さんや。それぞれがそれぞれの行動原理で動いていて、ねむりもちゃんがいくら辛かろうと、誰も悪くはないのでどうしようもないのです。もっと言えば、これを作りながら、「悪なんてものは相対的にしか定義することができないんだなあ」と思いました。


 いつも作っているものに比べると、この作品に関しては自分のなかでの、自分だけしかわからないような設定や妄想なんかがだいぶ多くて、だからきっとこれは「小さい子が自分の考えた主人公を頭の中で冒険させる」ことの延長なんだと思います。本来こういうことを伝えるのはなかなか野暮なものだし、作品を見る者がおのずと作る設定だとか世界観に干渉するのもなあ、とも思ったのですが、これに関しては制作に時間のかかったぶん頭の中のお話も広がり、たのしい世界ができたので、せっかくだからこういう形で連載記事として残すことにしました。


そんなわけで、お付き合いいただきありがとうございます。

引き続き制作します。



以上

Files

Comments

Anonymous

録画とねむりもは繋がってるんかねぇ

Anonymous

すごく面白かったです。 これだけの創作物を作ることのできる人が 自分と地続きの街に住んでいると思うと まだまだ生きていようと自然と前向きになれます。