しじみの味噌汁のんだ (Pixiv Fanbox)
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今月前半忙しくて作品とか出せないと思うので、しじみの味噌汁を食べた話をします。
小さいころ、そこそこの生き物が経験することだとは思うけど、家畜を食べることとかが苦手だった。突き詰めるとおそらく、「自分はのうのうと生きるために生きることが出来るが、殺されることを強制的に生きる目的にされて、その時まで何も分からず生きるしかない生き物が存在すること、ひいては自分がその生き物が死ぬ理由の一つになっていることがくるしい」みたいなことだと思う。まあだからと言って食べないわけではないし、そういうことを思ったものの多くが、成長するにつれて合理化をしていくのだと思う。それは大きくなるにつれて、死を恐れる瞬間が少なくなるのとよく似ている。
さて、わたしは今でもその名残があるタイプで、直接的に「生き物を殺したんだ」っていう見た目の料理がとても苦手だ。丸焼きだとか、あるいはアサリやしじみみたいな「生きたものを直接大量に殺して作る食べ物」だとか。人間とご飯を食べに行くときもなるべく生け簀のある料理屋とかは避けるようにしている。(これは「受け付けない」とかではなく、「なんとなく嫌だな」っていう好みのレベルの話)
そんな折にある日大量に飲酒をしてしまい、翌日そこそこ宿酔に苦しむはめになった。調べると「ビタミンB1を含むしじみの味噌汁を飲むといい」と書いてあったので、珍しくインスタントのやつを飲もうと思い立った。
店屋に行ったらすぐ見つかって、上の透明なフタから中を覗き込むと尊厳のないしじみがギチギチに布団圧縮袋みたいに詰められていて、ウッと思って一度は帰ろうとしたけれど、このままだと「しじみが可哀想で食べられなかった生き物」になってしまう。断じてそういうのではないし(そういうのが嫌いとかではなく自分がそうするのが解釈違いなだけ)、そもそももう死んだものが消費される機会を一つ失うのもなんだか心苦しいのでどうにか気を落ち着けて買った。
フタを開けると、しじみの入っている袋に「具の袋」って書いてあって、あコレ本当にただの材料というか、本当に命というよりかやくの一種としての扱いなんだな、いやそりゃそうかと思いながら封を破ると、いくらかのドリップと一緒に容器の底に
ぼと、ぼどっ、ぼと…
と落ちた。いよいよもう引き返せない。と同時にこのマイナスな感情をどうにかしようと、脳が「たくさんの命だったものをこの手でめちゃくちゃにすることへの愉悦」を感じ始めた。心底魅入られたような気持ちでしじみの上から付属の半液体みそをかけていく。ほら、しじみ汚れちゃったね、これはお前たちの暮らしていた砂の中にもよく似ているけど、その実単にお前らを食うための調味料をぐしゃぐしゃにかけているだけなんだよ。
その後、死体の山に熱湯を注ぐ。この時の気持ちはほぼ、遺体が火葬されるときの遺族の心境と同じだ。「ひょっとするとまだ目を開けるかもしれない」ものを、今度こそ確実に不可逆的に変化させるという点でおんなじだ。ここにおいてわたしは確実にたましいの殺人をなしとげた。こころがひとつ罪人になった。
箸でもってがちゃがちゃとかきまぜて、嘘っぽいいただきますをして荒れた胃に味噌汁を流し込むと、傷口に塗り薬を適用したよーな心地いい感覚がする。貝類の味噌汁はものすごく命を抽出したみたいな味がすると思うんだけど、コンソメとか豚骨スープもそういうもの出汁(←最高のギャグ)、多分生き物の形がより分かりやすいからこそ自分の中で補正がかかっているんだろう、と思う。ちいさな殻をぽいぽいと脇に置いたフタの上によけながら(この工程はとてもすき)、いのち汁をものすごい愉悦と一緒に飲み干した。あとかなり久しぶりに飲んだので普通においしかった。
ってだけの話。やったことのしょぼさの割に文章が長くなりそうで面白かったから記事にしてみた。
おまけ
今作業の合間を縫ってFL studioっていう新しい作曲ソフトの練習をしているけど全然分からない。
オートメーションも分からないし音量感も分からないしセンドエフェクトも分からないし(要するに色々分からないということ)、だけど操作感は良さそうだなって思いながら練習している。リズムの組み方はこっちの方が断然楽にできる。
ちょっと前にCubaseの方もいじってみたけど、あっちは元々使ってるcakewalkってソフトに近い感じだったので、あえて全然操作系統の違うこっちを試している。
あと、cakewalkでバグが出てしまう楽器が使えるようになったのも楽しい。
ということで練習したもの
ちょっとクオリティはお粗末なのだけど頑張って遊び続けてみようと思う。