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ツイッターでも報告させていただきましたが、12月14日のお昼過ぎ。

愛猫むさしが息を引き取りました。


闘病開始から約50日目でした。本当に早かったです。

むさしの闘病に支援していただいた方々、本当にありがとうございました。

金額に見合ったお礼になるとは思えませんが生まれてから現在までのむさしの8年間の写真、動画をお礼として準備させていただいております。

供養になると思い閲覧いただければ幸いですので今暫くお待ちいただければと思います。


それに伴い「ねこのちりょう」プラン、「ねこのこうきゅうなちりょう」プランは今月を以って削除させていただきます。こんなに沢山の方々に援助していただき、愛していただきそこは本当に幸せ者だったと思います。





心の整理も兼ねてむさしについて思いついた事をひたすら書き連ねていこうと思いますのでよろしければ今暫くお付き合いいただければと思います。


2015年8月25日に5人兄弟としてこの世に生を受け、兄弟の中では一番元気があったむさし。一番最初に出会った時は体に飛び乗ってきて頭まで登り、甲高い声でひたすら鳴きじゃくる兄弟内で一番元気がある子でした。

が、次に会った時には今のようにダミ声になっていました。そこがまた愛らしく感じ一層好きになった事を今でも鮮明に思い出せます。


宮本武蔵のように強く、破天荒で、戦艦武蔵のように大きく逞しく育って欲しいと願い「むさし」と名付けました。

その願いは届いたのか去勢手術の影響かはわかりませんが一時期は6.4㎏まで太ってしまい獣医さんにダイエットを勧められるほど。(ブリティッシュショートヘア♂の平均体重は5.5~6.0㎏)


その後は5㎏台を維持しており太ってはないけどがっちりと筋肉質で逞しいプロポーションになっていました。

大きな体やふてこい顔付きに似合わず猫生でマジギレした事は、実家の犬と遭遇時とくまモンのぬいぐるみに対しての二度のみであとは何をされても怒らない本当に温厚な子でした。


甘えてきてる時にテンションが上がって甘噛みをすることはあれど、本気で噛み付いたりやましてや引っかきなど一度もされませんでした。

外をうろついている野良猫に対しても最初は警戒して窓越しに戦っていましたが

すぐに慣れ、窓越しですが鼻チューをするまでに社交性も高い子というのも発覚。


猫はいたずらをよくすると言いますがいたずららしいいたずらなど終ぞ一度もありませんでした。良い意味でも悪い意味でもとても猫らしくない子だったと思います。



寝ることと食べることが大好きで、おもちゃを投げたら咥えて持ってきたり。

プライドが高くべったりはしてこないし一緒の布団で寝たこともなかったけどお腹がすいた時にはべったり甘えてくる現金なやつ。

おやつを貰ってお腹が膨れたら「お前は用済みや」と言わんばかりに離れていって昼寝をしだす現金なやつ。


作業休憩に椅子を倒して寛いでたらお腹の上に乗ってきてまったりし出す。

顎や眉間を撫でてたらテンション上がって甘噛みしてくる。めちゃくちゃ可愛いやつ。


ビニールひもが大好きで、みつあみ状にした安上がりのおもちゃが大好きだったむさし。かといえば数千円するおもちゃには見向きもしないむさし。


食べるものもおもちゃも安いものが大好きなむさし。

イギリスの由緒ある血なんてなんのその。ひたすら地を押し通すむさし。



一度脱走したこともありました。

玄関にいた時に郵便受けを膝で蹴ってしまいその音にびっくりし空いていたドアから外へピューっと。

近所中あちこち探しまわった。チラシを作って近所中に配った。

「猫は嫌いだから知らん。帰れ」と言われたり、無事発見の報告で訪れたお宅のお母さんは自分の事のように泣きながら喜んでくれたのは今でも強く覚えてます。


作業に集中してて足元にいるのに気づかず、椅子の足で尻尾の毛を巻き込んでしまい一部剥げて急いで獣医に駆け込んだこと。


来客時に玄関先で対応していると家政婦みたいに顔半分だけ出して様子を伺っているところ。

寒くなると布団こね職人の顔を出すところ。

おもちゃを咥えて唸りながら「遊べよー」って催促するところ。

おしっこをする時やたらと目つきが悪くなるところ。


数えきれないほど沢山の愛おしい思い出があった。






異変に気付いたのが今年の春頃。ずっと食べていた消化器サポートというご飯を全く食べなくなり、最初は飽きたのかと思ってた矢先排便時に脱肛をしてしまい、初めての経験に動揺し、深夜に3つ隣の市の救急外来まで車を飛ばしました。

到着時には肛門から見えていた腸が引っ込んでおり「なーんだ」という気持ちで帰宅したのも束の間、朝にまた脱肛が始まり急いでかかりつけの獣医に。


元々腸が弱くあまり他のご飯をあげたくなかったのですが消化器サポートを食べない以上何も食べないのもよくないと思い他のご飯をあげたら爆食。

その後注意を払いつつご飯をあげていましたが脱肛は何度かあれど、尻尾をカバーにして押し込むという形で安定し脱肛も次第に落ち着いていきました。


夏頃。下痢の回数が多くなり、トイレ以外でも排便をし出すようになる。

そこで、まだ猫としては新しめの治療の便移植をしました。

他所のドナー猫の便を移植し腸内細菌を生産する土台を作るという簡易的な手術です。

手術といっても麻酔したり切ったりではなくお尻から直接いちじく浣腸のような物で注入するという体への負担も相当低いもの。


しかし下痢は収まりませんでした。トイレ以外の排泄が増えている為この頃から部屋中に新聞紙を敷き詰める。

10月の半ば、かかりつけの獣医が異変を感じ、隣市にある大病院を紹介していただきそこで血液検査やエコー検査等ありとあらゆる検査をし消化器型リンパ腫の疑いが強まる。

開腹して検針で病理検査をするためにすぐに入院措置をし、結果十日間の入院。


10月末、退院し帰宅した時にはエリザベスカラーをあちこちにぶつけつつも弱った様子など全く見せなく、むしろ元気いっぱいで家中をうろつきまわっていました。

食欲も非常に旺盛で病院で食べていた腸内バイオームというご飯だけじゃ足りずに市販のご飯やおやつもバクバクと食べていました。


数日後に検査結果が出て、結果は以前こちらでもご報告した通りステージⅣの消化器型リンパ腫。中央生存値が3~10か月といういわゆる末期がんですね。


この頃からむさしを見送る心の準備を進めていましたが結局1ミリも進展はありませんでした。正直今でもどこか実感がありません。

PCに向かっている顔をふと横に向けると部屋の入口にむさしがいるんじゃないかと何度も目をやってしまいます。


11月。その後下痢は悪化し、ついに固形状のものは見かけなくなる。

回数も増し、酷いと一日50回はしていたような気もする。

毎週行っていた抗がん剤治療も効果の程を見せず。


12月の上旬に獣医から通告。

「今回は強めの抗がん剤を投与したのでこれで効果が見られなければ決断をしてほしい。このまま効果の薄い治療を続けるか、治療をやめ手が届く範囲で充実した余生を過ごすか。」



その四日後の12月14日水曜日。

作業が落ち着き午後過ぎにリビングのむさしの様子を見にいったら様子がおかしかった。全身の力が抜け、息も数十秒に一度むせるような感じ。

急いでかかりつけの獣医に行ったがお昼なので対応者おらず。

そこで一度だけ行った別の獣医を伺ったところ、こちらもお昼休憩だったが

何とか対応してもらい様子を見てもらえた。


その時点では心臓の鼓動が弱まり、いわゆる臨終間近。

ここで無為に蘇生措置をして事故が起こるよりは家に帰り安らかに看取ったほうがいいとのこと。

そのまま家に帰宅し、車から玄関まで抱っこで移動、リビングにある大好きだった小さなホットカーペットの上に寝かせたところもう息をしていなかった。


息を引き取る瞬間は看取れなかったのは残念だけど恐らく抱っこしての移動中だったのでむさしは腕の中で逝ったのだと思う。

一人ぼっちで逝くよりかはずっとよかったと思う。



むさしは本当に優しい子だったので今思ったらその残酷な決断をさせたくなかったのかもしれない。

でもわがまま言ってもいいからあがきたいかこのまま余計な事をせず看取ってほしいか言ってほしかった。むさしが決めたことなら喜んで付き合うから。


そんな自分の死ですら他人を気遣った選択をしてほしくなかった。

本当に優しくて、本当にいい子だった。心の底から愛してた。

本当につらかったよね。むさしにばかり負担をかけて本当にごめんね。本当に恨んでくれて構わない。こんな飼い主の元に来たのがむさしの不幸の始まりだったのかもしれない。でも本当に、本当に愛してた。


恐らくむさしと同じ所へは行けないと思う。

それでももし万が一、同じ所へ行けたら真っ先に謝りたい。

うちなんかに来てなかったらもしかしたら違う道があったのかもしれないから。

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大切な「ご家族」を亡くされた事、お悔やみ申し上げます。 今は何卒、むさしちゃんとの思い出を大切に過ごして頂きたく存じ上げます。