子供会のミューズ (Pixiv Fanbox)
Published:
2023-07-08 03:30:18
Imported:
2023-07
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「陽子、さっき村田さんから電話あったんだけどね、今年もミューズやってくんないかって。どうする?」
「は? え、どゆこと?」
「だからね、去年やったでしょ。今年も……」
「いや、私もう中学生なんだけど?」
六月の末日、地域の子供会からミューズの打診が来た。この地域の古くからの伝統で、子供会の大きな行事では子供のうちの誰かがミューズと呼ばれる役目をやることになっている。名前からして当然、女子限定だ。まあ、お菓子配ったり司会したりする程度で、特にどうということはないんだけど、問題は衣装が用意されているという点。その衣装がとてつもなく恥ずかしいのだ。真っ白なレオタードに、肘まである白い長手袋。それに銀色のティアラ。以上。これに何か付け加えてはいけない。何でこんな恥ずかしい格好を同級生たちの前で晒さなければならないのか、私にはわからなかった。心底嫌だったのを覚えている。伝統なんて言ったって、どうせ昔のエロおやじが適当に自分の趣味で決めたやつが何となく惰性で引き継がれてるだけでしょ、と内心思う。小学生にさせる格好ではないと思うんだけど、特に変更されたり無くしたりすることもなく、ずっと子供会のお約束として受け継がれている。去年は私が引き受けさせられたのだけど、なんで今年も? そもそも、私はもう子供会入ってない。中学生だもん。小学生まででしょ?
お母さんによると、もう子供会には女子がいないらしい。あーそういえばそうだったなあ、と私は去年までの記憶を呼び起こす。下級生みんな男子だったな。私の学年が女子二人で、あとはみーんな男子。ど田舎なので子供の数が少ないのが原因。ていうかもうミューズなんていらなくない? わざわざ子供会入ってない中学生呼び出してまでやること? 女の子に破廉恥な格好させたいだけじゃないの? 女子いなければ廃止でよくない?
断るようお母さんに伝えたものの、なかなか向こうも引き下がらない。伝統だから、子供の少ない今だからこそちゃんとやりたい、と色々理屈を並べて、最終的にはバイト代出すとまで。お小遣いが欲しかった私は揺れた。……まあ、同級生いないから学校で恥かくことはない、かな? うーん……。具体的に聞くと、結構な額だった。そこまで?
ま、コスプレして子供数人の面倒見るだけの話ではあるのか。そんだけでそんなにもらえるなら……。それに私は去年も着たわけだし……。
悩んだ末、私はミューズを引き受けた。近くある子供会の七夕会で、私は中学生の身ではあるけど、今年もミューズ姿を披露することに。恥ずかしいから友達には伝えなかったけど、まあバレるんだろうな……。狭い世界だし。それが不安。
七夕会当日。夕方、公民館に入った私を、大人たちが大喜びでお礼と共に迎えてくれた。伝統が途切れなくてよかった、ミューズがいないと子供会の感じが出ない、等々……。嘘つけエロおやじ共。伝統なんて言ったって、あんたら世代が立ち上げたんじゃん。
あのおやじ共を眼福させるためにあんな恥ずかしい格好するのかと思うと気が滅入るけど、まあかなりもらえるし……。今更断れもしない。更衣室代わりの倉庫に入り、私は服を脱いだ。机に置いてある桐の箱は既に蓋が開けられ、お決まりの衣装セットがその姿を露にしていた。汚れ一つない、純白のレオタード。これが不思議な衣装で、どんな子でもサイズがピッタリになると曰く付き。確かに去年は自分の体にジャストフィットしすぎてて驚いたな。実際どうかしらないけど。
久々に手に取ったミューズのレオタードは、滑らかで心地よい手触りだった。いつまでも触っていたくなる妙な魅力がある。材質は布じゃない。テカテカしていてゴムっぽい。でもゴムってわけでもない。何なんだろうなー。
肘まで覆うことになる長い白手袋も、レオタードと同じ謎の材質でできている。これも妙に私の腕にフィットする。採寸して専用に作ったのかってくらい。レオタードを着て両手に手袋をはめると、やはり私の体に寸分の隙間もなく張り付いた。
(んっ)
この軽い圧迫感がちょっと癖になるのだ。恥ずかしい格好であるのは間違いないけど、いつまでも着ていたくなるような着心地。何だかんだ苦情が出ずにここまで続いたのは、この圧倒的な着心地の良さもあるだろうな、と改めて思う。
最後に銀色のティアラを頭にのっけると、眩しい光が私の頭上で溢れる。頭がドンドン重くなっていく。この感覚も久しぶり。ミューズ・セットを身に着けると、髪の色がつややかな銀髪に染まると同時に、腰ぐらいまでぐいーっと伸びるのだ。確かに女神と言いたくなるような姿になる。おまけに……。
(あ……)
背中が、肩甲骨がムズムズしたかと思った瞬間、体内から背中を切り裂くように光の縦線が走り、そこから羽根が生えていく。形状は蝶の羽のようで、色は半透明の銀色。ミューズ衣装を規定通りに装着すると、髪が銀色になってアニメキャラみたいに長く伸び、背中には妖精のような羽根が生える。これでミューズの出来上がり。肩甲骨の先に生まれた新たな感覚に力を入れると、羽根がパタパタ動いた。
(……いやおかしくない、コレ?)
小学生のころは特に疑問に思わなかった。低学年の頃から高学年のお姉ちゃんたちが当たり前のようにミューズやっていたから、そういうもんだと特に疑問に思うことなく受け入れていた。けど、中学になった今、この髪が変わるのと羽根が生えるのはどう考えてもおかしいと気づいた。魔法か何か? こんな仕掛け作れっこないよね?
今更の疑問を抱えながら更衣室を出ると、準備中の大人たちが私を褒めた。綺麗、かわいい、似合ってる、お姉さんになったわね~と。私は愛想笑いで受け答えしながら、居心地の悪い空間を耐え忍んだ。や、やっぱり恥ずかしい……。太腿全露出だし。中学生にもなってこんな格好を人前で……。
子供たちがやってくると、一緒に兄姉もやってきた。勿論、私の痴態を見にだ。同級生に散々からかわれた私は真っ赤になって、必死に写真を撮らないよう懇願しながら、小学生じゃないやつは帰れと叫んだが、
「お前も中学生じゃん」「羽鳥小学生だったのか?」
等と反論をくらい、ますます赤くなる羽目に陥った。
軽い司会と進行のお手伝い。仕事内容は例年通りで、特に変わったこともなく。ニヤニヤしてる同級生をたまに睨みつけるぐらい。お開きになって片付けの段、ようやくこれで羞恥ショーが終わると安堵した私に追い打ちがかかった。
「じゃ、次は夏祭りかな。またよろしくね」
「はい?」
え、今回だけでしょ? もうやらないよ絶対? と思ったのも束の間、バイト代は一年分だと告げられた。ふぇっ!? マジ!? あ、だ、だからあんなに高額だったんだ……。そんな話あったっけ? 聞いてない絶対。大人って汚い。
恥のかき損になるためバイト代を突っ返すこともできず、それに身を包む柔和で安心感のある不思議な圧迫感が、私の判断を鈍らせる。また着たいし何ならずっと着ていたいとそう思ってしまう。私はその場で反論することができず、なし崩し的に今年度いっぱいのミューズ役を引き受けさせられてしまった。
倉庫でティアラを外すと、また頭上がまばゆく光る。背中の羽根が背中に吸い込まれるようにして消え去り、髪も元通りの長さに戻っていく。何事もなかったかのように黒髪に戻り、私はミューズでなくなった。ホント、何なんだろうこの衣装。普通じゃないよね。数十年前からこの仕掛けがずっとあったなんて、冷静に考えたら絶対ありえない話だ。
着替えた私は、帰りがけに聞いてみた。あの服おかしくないですか? と。しかし有益な答えは得られなかった。衣装の仕組みは誰も知らないらしい。よく知らないけど、昔からそうなんだ、と答えるばかり。ちなみに洗濯もしていないらしい。聞いた瞬間ギョッとしたけど、洗わなくてもずっと綺麗で清潔だから気にしないで、と慌ててフォローが入った。銀髪化や羽根が生えるのと同様、そういう魔法? なんだと。……確かに、今日着る時も着ている時も、汚いなんて全く思わなかったな。それどころかめちゃ綺麗だなーと感心したくらい。
誰が着てもフィットするし、洗わなくても綺麗で、着ると羽が生えたり髪が変わったりする魔法の衣装……。一体ミューズって何なんだろう? 中学生の頭で考えると疑問に思うことばかりだ。
そうしてたくさんの謎を残して、七夕会は終わりを告げた。ちなみに家に帰って今回限りじゃなかったのかお母さんに問いただすと、「あら言ってなかった?」とポロリ。私はガックリ崩れ落ちた。本当の敵は身内の中に……。
そうして、中学生なのに小学生たちの子供会に出続ける一年が始まった。全身真っ白の銀髪妖精コスプレで小学生に混じるのは毎回相当にきつかった。行事によっては外にも出るし……。夏祭りでは早速、ミューズ姿で幼稚園の運動場をうろつく羽目に。何か羽織った瞬間、銀髪と羽根が消えてしまうので、私はどうあっても衣装そのままの姿でいなくてはならず、死ぬほど恥ずかしい思いをしながら、子供会の女神を続ける羽目に。キツイよお……。
大人たちは可愛い綺麗と褒めてくれるけど、当然ながら同級生たちには弄られ続けるし、結局写真も出回るし、最悪だった。
秋に至ってはレオタード姿の銀髪妖精のままだんじりと共に町内を練り歩くことに。周囲の視線が針のように突き刺さる。去年の私はよく平気だったなあと感心しちゃう。それは私が成長したからなのか、或いはまだ小学生で正式に子供会のメンバーだったからか……。中学生なのに小学生限定の催しに参加させられているという状況が羞恥を増幅させているのかもしれない。しかし、レオタードと手袋だけで下半身なんか何も着ていないのに寒くないのには驚いた。これも衣装の魔法なのかな?
年が明け、春になる。私のミューズは中学ではすっかり普通というか、弄りの流行ではなくなり、「頑張れー」的な反応だけになった。これは大変ありがたいことだった。後はもう子供たちとその保護者たちの前で我慢すればいい。
しかし、大問題が発生。ど田舎のこの町は、いよいよ限界集落の様相を呈してきた。来年度は小学生になる子供がうちの地区では一人だけ、それも男子だというのだ。つまり、来年度もミューズを子供会で輩出することは不可能ってこと……つまり?
「羽鳥ちゃん、来年度もミューズやってくれないかしら? とっても似合ってると思うし、子供たちも皆喜ぶわ」
「え……ええ?」
私は困り果てた。同級生や先輩に打診しても、当然誰も引き受けたがらない。現役だった去年一年に加えてこの一年もやり遂げたせいで、すっかりミューズ自体が「私の役職」みたいになりつつある。
そして大人みんな、ちょうど私がミューズ衣装着てる時にこの話振ってくるのがズルい。だってこんなすごいフィット感あって肌触り最高で……うう、また着たいって思っちゃう……。死ぬほど恥ずかしいのに。中二になっても子供会? でもそうしたら二度とこの衣装着れなくて……あう。
バイト代を言い訳に掲げながら、私はこの衣装の魔力に屈した。三年連続でミューズをやることに同意してしまったのだ。そして脱いで家に帰ってから大いに後悔する。何で私は……あーもう。衣装が悪い。何であんなに滑らかで安心感あって包まれたくなっちゃうわけ? ホントに魔法だよあの服。誰もミューズ制度廃止を言い出さないわけだ。
三年目。中学二年生になってもミューズやったのは私が初めてだろうな……。去年は憧れの綺麗なお姉さんみたいな目で見てきていた男の子が同じ中学の後輩になり、一転いい歳してずっと子供会いるやつみたいに軽口叩いてくるようになったのが心底腹立たしかった。あんた去年まで犬の方が賢かったガキだったでしょ。私からお菓子もらってわーいわーいしてたくせに。
しかし子供会の行事本番になると、嫌な気持ちは急速に勢力を減退する。やっぱり、衣装が気持ちいい。辞めたいのに恥ずかしいのに、いつまでも着ていたいと、やっぱりそう思っちゃう。この衣装の材質はなんなんだろう。これで全身タイツとか作ったら二度と脱げないだろうな、と夢想する。幼児時代のタオルケットにくるまっているかのような、圧倒的安心感。背が伸びたはずなのに肌に張り付くようにジャストフィットしてくる。永遠に私にピッタリだ。本当に魔法としか言いようがない。これが小学生に着せたらまた小学生サイズになるなんて信じられないよ。
中三になってもようやく女子が一人入るだけで、私のミューズが続いた。流石に小一にミューズは無理だ、ということで。前人未踏の四年連続ミューズ。今年高校受験なのに、子供会に混じっているのは心底キツくなってきた。けど、ここまでくるともう逆に皆のお姉さんみたいな感じになってきて、いくらか社会的ポジションが安定してきた。町内ではちょっとした地元アイドル的な雰囲気も出てきて、正直悪い気はしなかった。あんなに固辞して私を馬鹿にしていた同学年や先輩の女子も、私に嫉妬するような態度を見せるようになったからだ。自分だってミューズはやれるし、みたいな。二年前だったらじゃあよろしくと押し付けただろう。しかし流石に四年もやっちゃうと、自分のお仕事みたいな矜持も生まれてくる。町内アイドルみたいな大人たちも持ち上げも嫌ではなくなってきたし。チンチクリンの小学生ではなく、身体も成長した中学三年生のミューズ姿がアイドル的受容を生み出したんだろう。多分初めてだろうな、こんなの。
高校生になると、完全に保護者目線になったので、子供会にいることの恥ずかしさはだいぶ軽減された。しかし今度は今度でミューズ姿がかなり恥ずかしさを増してきた。高校生でこのカッコは……。大人たちの目、特に父親たちの目が明らかに嫌な感じになってきた。中学の時よりかなり不快。もうちょっとなんか……スカートとかダメ? 魔法が解けるからダメか……。何回かデザイン変更を試みたけど、レオタード、手袋、ティアラに何か加えるとその瞬間銀髪と羽根が失われてしまう。……別にそれでもよくない? とも思うけど、それだと本当にただレオタード着てるだけの私になっちゃうから、滅茶苦茶に辛い。ちゃんとミューズモードになっている方がまだ割り切れる。
しっかしいつまで続くんだろうコレ。一番下の女の子がまだ二年か……来年にはバトンタッチできるかな? いやもう一年?
などと悩んでいる間に、唐突に終わりが訪れた。なんか最近制服のサイズが合わない。成長して小さく感じるのではなく、逆に大きく感じる。袖から手が完全に出ない。前はそんなことなかったのに。日がたつごとに、全体的にブカブカになっていく。ミューズ衣装は常にピッタリだったのと、のほほんとした田舎だったので発覚が遅れた。私は恐ろしい病気に罹っていた。縮小病と呼ばれる、女性限定の奇病。名前の通り、体が縮んでいく病気だ。治療法もなく原因も不明で、ただ縮小が止まるのを待つほかないという絶望の病気。ほとんどのケースだと数センチ縮む程度らしいけど、私は重症だった。入院後も見る間に体が縮んで、あれよあれよという間に三十センチ。私の人生、世界は一変してしまった。今まで普通に接していた人たちは全て巨人となり、あらゆる家具やインフラは私の使用を想定しなくなり、高校は遥か遠ざかった。まともに体に合う服も下着もなく、スマホすら持てない。当たり前だったこと全てが私の手から抜け落ち、ちょっと前まで町内の女神だった女は、同情と噂話を彩る可哀相な小人になり果てた。
適当に布を切って縫ってしたブカブカで惨めな服、下着は当然なし、トイレ行くにも人の手が必要。絶望的な暮らしだった。まだ高校生なのに。本当なら友達と一緒に出掛けて、お洒落して、部活して……そんな日々のはずだったのに。これから一生介護生活だなんて。私、何か悪いことした?
余りに惨めだった。ミューズごときで悩んでいたあの日々が懐かしい。酷く昔に感じる。あの頃の私と、この惨めな自分が同じ存在だなんて信じられない。どこかで別人に生まれ変わったんじゃないかと思うほどだった。
リモートも駆使しながら、何とか高校は卒業させてもらえたものの、大学に行く気力は到底残っていなかった。そもそも鉛筆も持てない体では勉強だってろくにできない。この状況で受験勉強ができるのは、見るだけで全て理解できるような天才さんだけだろう。
かといって、就職もできない。このサイズじゃ何にもできないし、三十センチの小人なんて、ちょっと靴が当たっただけで大惨事だ。誰も余計なリスクは背負いたがらない。口では可哀相とか何とかしてあげたいねえなどと言うものの、本当に救いの手を差し伸べようという人はいない。世の中というのは、こんなにも無常で残酷なのかと、私は広すぎるベッドで巨大な枕を涙に濡らした。
ニート生活の最中、私は風の噂で子供会が消滅したことを知った。あー、とうとうか。子供、もう全然いなかったもんねえ……。ちょっとしたアイドル気分に浸れていたあの栄光の日々を懐かしみながら、私はふとあることを思い出した。ミューズの衣装はどうなったんだろう。……そういえばあの衣装、どんな子でも常にサイズがピッタリ合う魔法の服だったんだっけ?
ベッドから起き上がり、自分の粗末な服……とも呼べない布きれを見下ろす。最後に服と呼べるものを着たのはいつだろう。下着もゴツゴツした着心地最悪のものしかない。あのレオタードは……ミューズ衣装は最高だったなあ。
いてもたってもいられなくなり、私はお母さんに子供会のミューズ衣装が欲しいと願った。もしかしたら着られるかもしれない。まともな服を。普通の服を……。
無理かもと思ったものの、すんなり話が通った。もう誰も着ないからいいだろう、と。何年もミューズ役を務めたのも効いたらしかった。あれはもう「陽子ちゃんの服」だと。
目の前にデンと置かれた桐の箱。お母さんが蓋を開けると、懐かしい純白のレオタードが姿を現した。私の人間時代と密接に関係する衣装。思えば普通の人間だった間、ずっとこれを着ていたんだなあ、と感慨にふける。恐る恐る手を伸ばし、大きなレオタードに触れる。瞬間、シュルシュルと音をたて、レオタードが見る間に縮んでいった。半分に、もっと小さく……。ちょうど私が着られそうなサイズまで型を保ったまま縮み、止まった。私は嬉しくて泣きそうだった。着れる。着れるんだ……「服」を。
良かった。ミューズやってて。私は嬉々として布の切れ端を脱ぎ捨て、レオタードを両手に抱えた。懐かしい滑るような手触り。いざ着ようとした瞬間、自分が全裸であることを思い出した。インナーなしで着ていいのかな。流石にちょっと……いや。もう誰も着ないんだからいいでしょ。子供会はもうない。ミューズは終わったの。だからいくら私が汚そうが、もう誰も怒ったりしない。迷惑もかけない。
そう自分に言い聞かせて、私は魔法のレオタードに袖を通した。そうだよ、私のためにこんな小さくなってくれたんだから、着ていいんだよ。私の服。私のミューズ!
お人形の服のように小さくなったレオタードは、期待通り私の胴体にジャストフィットした。一ミリの隙間もなく、張り付くように肌に沿う。滑らかな肌触り。いつまでも着ていたくなる温かい安心感。久しぶりにちゃんとした服を着られた感動で、私は泣きそうだった。
「良かったわねえ」
お母さんも嬉しそうだった。箱から手袋も出してもらうと、そっちも触った瞬間小さくなった。嵌めてみると、やはりピッタリ。私は胴体と肘から下の腕を真っ白に染め上げた。ここまで来たら、最後までやりたくなる。
「お母さん、ティアラ出して」
「これ? でも大丈夫かしら」
目の前に置かれたティアラ。これは……どうなんだろう。これも小さくなってくれるんだろうか。微妙な気がするけど……。えい。指先でちょんとつつくと、驚くことに、ティアラもスルスル小さくなって、小人用の冠と化した。
(おお……)
両手をそっと頭に乗せると、私の髪が輝いた。ろくに手入れも出来ていなかったボサボサの黒髪は、艶やかな長い銀髪に書き換えられ、背中が縦に二か所裂け、半透明な銀色の翼が生えてきた。ミューズの魔法は健在だった。人間世界では生きられなくなった私でさえも、あの時と同じように温かく迎え入れてくれたのだ。私は感極まって泣いてしまった。
普通の服とは比べ物にならないくらいの着心地、何よりも唯一のまともな服、おまけに洗わなくても清潔。私はあっという間にこの衣装に魔力に再び取りつかれ、四六時中ミューズ姿のまま過ごすようになった。手袋とティアラはいらないかもだけど、何となくつけている。腕や指先も気持ちいいし。ティアラはまあおまけ。
さらに、三日と経たないうちに更なる大発見があった。ミューズ状態の時生える羽根は自分の意志で動かせるのだけど、何と私はそれで羽ばたくことができた。飛べる。宙に浮けるのだ!
(えっ、えっ、え、すご、すごっ!)
自在に飛ぶにはちょっと訓練が必要だったけど、これは劇的な変身だった。小さくなって困っていることのほとんどがこれで解決できる。飛べるから自在にあちこち行ける。床から机、テーブルから床。お母さんの助けを借りなくとも、一人でやれる。大助かりだった。
信じられない。単なる飾りだとばかり思っていたこの羽根が、本当に飛べるなんて。なんで気づかなかったんだろう。歴代のだれも。……いや、飛べなかったのかな、本当は。私が小さくなったことで奇跡的に生まれたマリアージュなのかもしれない。
そして、一日中ミューズでいることも初めてだったので、さらなる大発見があった。トイレに行かなくてよくなったのだ。一週間ぐらいトイレに行っていないことを母に心配された時気づいた。まるで尿意や便意を催さない。検査しても、別に便秘や病気ということもない。どうも、ミューズでいる間はウンチもおしっこもしない身体であるらしい。そういえば、確かに子供会の行事の最中にトイレ行ったことなかったかもなあ。当時は特に何とも思わなかった。まさかこんなすごい効果がまだ隠れていたなんて。
こうなってくると、手袋もティアラも必需品になる。脱ぐなんてナンセンス。私はずっとミューズで……純白の妖精のままでいる!
お母さん経由で、ミューズ衣装で変身した私の存在はご近所に知れ渡った。何人か見に来たので、私は綺麗な純白の妖精になった姿を堂々披露した。羽根を羽ばたかせ宙に浮く私を見ると、誰もが度肝を抜いた。そして久しぶりに、可愛いとか綺麗といった誉め言葉を頂き、私ははにかんで照れた。
そのうち、少し離れた大きな市からお呼びがかかった。生涯学習センター……ようするに大きな公民館から、来ないかと誘われたのだ。そっちでやっている子供向けのイベント等を手伝って欲しい、と。閉鎖されたうちの公民館に代わり、今ではそっちで色々やっているらしかった。引きこもっているよりは万倍いいだろうと、私はすぐにそれを受けた。いけるところがある、人間として相手にしてもらえる……それが何より嬉しかった。
センターでは職員全てに好意的に歓迎してもらえた。懐かしい顔ぶれも多く、既に魔法の説明も行き渡っていたためか、新生ミューズはあっさりと受け入れてもらえた。「本物の妖精」は子供たちにも大人気で、私は自分が人間の世界に居場所を得られたことを実感し、心から嬉しくなった。
とはいえ普通のお仕事は手伝えないため、イベントがない時はセンター内を気ままに飛び回って遊んでいた。それはそれで来館者に好評だったものの、何度か危ない場面もあり、受付でジッとしているよう言われてしまった。
そういうわけで、最終的には受付にチョコンと座り、来館者に挨拶するのが私の普段の仕事になった。可愛い可愛いと評判で、まったく良い気分だった。あの頃より楽しいかもしれない。
しかし人気になりすぎるのも困りもので、男の子が私を捕まえようとしたり、職員の目を盗んで誘拐しようとする人も出たりでちょっと騒ぎも起こった。そこで職員たちの出した解決案は、私をガラスケースに入れて「保護」することだった。
「えー! 嫌です。私は動物園の動物ですか!?」
「でも、私たちもずっと見ていられるわけじゃないし、ねえ」
「で、でも……」
「羽鳥さんの身の安全のためでもあるんだから」
「……」
あっさりと押し切られ、私は用事のない時はガラスケースの中に入れられることになった。受付に新たに設置された縦長のガラスケースに私は入れられ、そこからジェスチャーで応対する羽目に。見世物、展示品みたいで気分がよくないのは勿論、目の前のガラスに小さな銀色の妖精が映りこむせいで、ちょっと自分の痛さを突き付けられるのもきつかった。わ、私、こんなぶりっ子だったかなぁ……?
そして、座るスペースがないのも問題だった。縦長ガラスケースは、立っているか体育座りで小さく縮こまっていることしかできない。足を伸ばして座る余裕がない。これが中々辛いので、私は職員たちに相談した。もうちょっと広いケースがいい、と。しかし私一人のためにこれ以上予算を割けないとその申し出は却下され、代わりにとんでもな改善案が可決された。職員の中に趣味で催眠術をやっている人がいて、その人が私に姿勢が楽になるような催眠をかけてあげる、というもの。
「そんなの効果あるんですか」
「まあまあ、見ててよ」
彼は屈んで私と目線を合わせ、催眠の導入を始めた。催眠なんて本当に効果あるのか私は懐疑的だったのにも関わらず、彼の言葉を聞いてるうちに何だか眠くなってきて、気づけば意識が飛んでいた。
ハッと目覚めた時には、施術が終わっていたらしい。ケースに入るよう促された。半信半疑のままガラスケースの中に入ると、不思議なことに、全身が強張ってきた。
(え? 体が……うそ)
脚から腰、腕まで全身が硬くなって上手く動かせない。羽根もスローモーションのようにゆっくりとしか動かない。足が上がらない。顔も……筋肉が強張ってきた。そうして私は少しの緊張を残す固い表情を浮かべたまま、その場から一歩も動けなくなってしまった。
「成功です」
後ろで嬉しそうな声が聞こえる。良かったね~とかすごいなーとか、賞賛の声も。私は驚いた。催眠って本当にこんな効果あるんだ。これならまあ、ガラスケースの中で長時間突っ立っていても苦しくないかも……いやちょっと待って。
扉が閉じられ、いつも通りの業務が再会される。私は喋ることも振り向くこともできず、時折ビクッビクッと震えるだけで、何をすることもできなかった。
(こ、これ……ちょっとやりすぎというか、効きすぎなんじゃないですか……?)
手足が全く動かない。口すらも。来館者が話しかけてくれたり子供がケースをつついてきたりしても、私は碌な反応を示すことができなかった。挨拶もできやしない。ケースの中で突っ立ったまま、ただ静かにしていることしか。
(う、動けない……)
これじゃあ動物園の動物どころか、単なるお人形だ。来館者たちは防犯のための処置だと説明すると、皆すんなりと受け入れた。どう考えても異常というか人権侵害もあるような状態だと思うんだけど。でも皆、違和感のある光景だとは感じないらしい。私が動かなくても一切気にしなかったり気づきもしない人も多かった。……むしろこの方が正常なのかもしれない。妖精のコスプレをした三十センチの成人女性なんて、本来ありえない存在だもんね。お人形である方が自然に映るのかもしれない。
そういうわけで、私の新しい業務スタイルが開始された。ガラスケースの中に立っているだけ。楽っちゃ楽だけど、自分の意志で動けないのは怖い。誰か職員の人とお話しようと思っても、それすらできない。小声で「……んっ」とたまに嗚咽のようなものをひねり出すのが精一杯。ガラスケースの扉が開いていても、自力で外に出ることができない。誰かに取り出してもらわないと。せっかくミューズ衣装の魔法で自立できるようになったのに、また人のお世話になるのかと思うとガッカリだった。
話しかけても返事しないし、見てても動かなくなってしまったので、来館者たちも私に注目することはほとんどなくなり、急速にブームは冷えてしまった。あっという間に私は受付のお飾りと化してしまい、ほとんど動かないせいで職員たちとのコミュニケーションの機会も減っていった。そうなると夜にケースから出されず放置される日も徐々に増えていく。誰もいない暗いホールの中で、私は震えた。自分が再び人間の世界からはじき出されつつあるようで。
唯一の救いと楽しみは子供向けのイベント。その日はちゃんとケースから出してもらえるし、自由に飛び回れるので、文字通り羽を伸ばすことができた。受付のお人形が動いた、ということでギャップが子供たちにも大うけで、終了後受付の人形に戻った私に子供たちが群がることも多かった。ケースをつついたりして私を動かそうとするのだけど、私は催眠の効果で筋肉が硬直しているため、残念ながらリアクションを返せない。子供と遊ぶ時だけ動き出す妖精のお人形。それがまた、本物の妖精っぽい、夢があるという理由で保護者からも好評だった。動かない方がいいだなんて変な気持ち。同時に、お前は人形でいろ、人形の方がいいと言われているようで、少しイラつきもするけど。
(私は……人間、なんですけどね)
とはいえお楽しみ中の子供たちの気分を害したり空気を壊すわけにもいかないので、イベント中は私も自然とそういう風潮にのっかるようになった。
「ヨーコちゃん、なんで普段は動かないのー?」「ホントに妖精さんなの?」
「そうだよー、私は皆と遊ぶ時だけ動けるんだー」
笑顔でそういう説明を自ら返す。誰に言われたわけでもないけど、もうそういう空気だったので仕方なかった。
イベント終了後は子供たちのために、ケースに入る際何か可愛いポーズをとるようになった。筋肉が自然に硬直するので、大体どんなポーズでも姿勢を楽に維持できる。可愛らしい妖精の人形に「戻った」私の姿は、帰り際の子供たちに評判だった。それに気を良くした職員が、さらなる提案を行う。「つまらなそうな顔や苦虫を噛み潰したような表情では受付の飾りとしてよくない」という理由で、ろくに私の了承も得ないまま、追加の催眠が施された。ケースに入る際には笑顔で可愛いポーズをとるようにする催眠。そのせいで、私はケースに入ると体が勝手に可愛く媚びたような姿勢をとるようになってしまった。軽く屈んでウィンクしたり、両手の人差し指をほっぺに当てて笑ったり、片足立ちでぶりっ子ポーズだったり……。正直かなりきつかった。目の前にうっすらと自分の姿が反射されているから尚更だ。もう成人してるのに、毎日レオタードと手袋だけという恥ずかしい衣装で妖精さんを気取らされ、媚び媚びの可愛いポーズばかりとらされる。そんな自分を強制的に客観視させられるのだからたまったものじゃない。しかも夜にケースから出されず忘れられる日が大半になってきたし。ずっとぶりっ子のまま固定されて放置されるのは耐えがたい屈辱だった。
今後ずーっと、こうして公民館の受付に飾られる白い妖精のお人形になっているのかと思うと、胸がギュッと締め付けられる思いだった。これで……これで本当にいいの? こんなの人間の、お仕事って言える? でも……公民館辞めたって行くところもないし、これ以外に着る服も……。
そんな葛藤を抱えながら、私はいつもの朝を迎え、いつもの配置につく。狭いガラスケースの中に入った瞬間、手足が独りでにポージングする。小さな妖精さんに相応しく、成人女性には好ましくない、甘えたようなポーズをとらされ、笑顔を浮かべさせられる。そのまま急速に全身が硬化して、私は表情を変えることも、指一本動かすこともできなくなり、受付を彩る人形と化した。ガラスに映りこむ恥ずかしい格好で媚びる女から視線を逸らせない。ああ、次の子供向けのイベントはいつだったかな。子供と遊ぶ時だけ私は自由になれる。最も、人間を名乗る自由はないのだけれど……。
後ろから聞こえてくる職員たちの会話を聞きながら、私は静かに解き放たれる日を待ち続けた。明日も、そしてまた明後日も。