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 自家焙煎のコーヒー、卵二個を使ったスクランブルエッグにベーコン一枚とソーセージ三本、八枚切りのトースト二枚、そしてミニサラダ。締めてモーニング税込み五百円は破格と言えた。

 にも関わらず客の入りは悪く、今のところ客は彼一人だ。窓際の席で足下のコンセントに充電器を繋ぎ、都心に向かう電車を見送り続ける。助言通りに一限は可能な限り取らなかった。

「空いたお皿、下げましょうか?」

 喫茶店のマスターが声を掛ける。彼はスマートフォンの画面を伏せてから答えた。

「お願いします」

「コーヒーのお代わりはどうします?」

「じゃあそれも……」

 皿が持ち去られ、代わりにコーヒーがマグカップに継ぎ足される。彼が家で飲むインスタントコーヒーとは比べ物にならない華々しい香りが広がる。

 マスターはがっしりとした体格で身長も高い。立ち姿や接客以外の雰囲気はとても堅気に思えない。実際、この辺りは家賃相応に治安が悪かった。

 食器を洗う音に混ざり、ベルが鳴って入店を知らせる。思わず彼もどんな人が来店したのか見てしまった。

「おはよ。また徹夜した?」

 人といえ人間ではなかった。毛色は茶色、上腕が翼で足が三前趾足になっているハルピュイア族、俗にハーピーと呼ばれる種だ。

「それはアンタだけだよ。久し振りに朝に起きた」

 彼女はぶっきらぼうだが、マスターは笑って流した。注文が取り交わされることもなく、自然とコーヒーとトーストがカウンターに置かれる。

 彼は長く視線を奪われた。なんせ彼女の格好はホットパンツにチューブトップくらいで喫茶店には似つかわしくない。へそにはピアス、胴体には絡みつく蛇を描いた墨が入れてある。

 そうしていれば必然的にハーピーと目が合ってしまった。慌ててうつむくも既に遅く、彼女は両翼に食器を携えて彼に対面した。

「相席、いい?」

「まあ……」

 空いてる席は他にあって相席の必要はない。だけどもう座ってしまった彼女にはっきり断る勇気がなかった。

「イヤならイヤってはっきり言いなよ」

 それを彼女は咎める。

「待て待て。客をいじめないでくれ」

 マスターが介入しようとする。だけど彼女に言わされた感を拭えないままに、彼は向かいに座ることを許した。

「どうも。お兄さん、学生?」

「ええ、まあ……」

「ふーん。こんな時間になにしてんの?」

「いや……電車待ってるんです。一限ないので……」

「ああそ」

 彼女はトーストにマーガリンとブルーベリージャムを塗ると丸めて口に入れた。ハーピーの翼の割に器用だが、それなりにパンくずが出てテーブルを汚す。彼はテーブル上の私物を避難させた。

「アタシは雲雀ミサ、お兄さんは?」

「丸谷タイヨウ、です」

「漢字でなんて書くの? タイヨウって、海の方? 星の方?」

「タイはオオきいの大で、ヨウはタカの鷹です」

「へえ、オオタカか。相性悪いね、アタシとお兄さん」

「そうですね」

 鳥ではオオタカが捕食者でヒバリは被食者だ。特にスズメ目なんていいエサだった。

「えっと、雲雀さんは――」

「ミサ。上で呼ばないで」

「……何をされてる方ですか?」

「それ口説いてる?」

「いえ」

「つまんな。ここの上、何だか知ってる?」

「確か、雀荘……」

 チラシの裏にマジックペンで書いたものを看板と呼べるなら、彼はそれを見た覚えがある。この上には雀荘がある。一階は空きテナントだ。

「そこのオーナー」

 彼が初めて会うタイプの人間だった。だから、どうにも反応に困ってしまった。

「すごいですね」

「なんじゃそりゃ。微塵も思ってないでしょ」

「どんなことするんですか、雀荘オーナーって」

「ウチに来りゃ分かるけど」

「今はちょっと……遠慮します」

 実際、この後は二限に出るためにこの喫茶店を出なければならなかった。

「あっそ。じゃあ気が向いたらでいいよ」

 アイスコーヒーを飲み干した彼女は食器を置きっぱなしにして席を立った。彼もそれを見て、荷物をまとめて喫茶店を出た。電車がもうすぐ、目と鼻の先にある駅に入線する。

「ねえ、鷹丸、学生って言ったっけ」

 聞き慣れない名前で呼び止められた。だけど陽の差し込まない階段にいるのは彼と彼女だけで、他に誰もいない。苗字と名前を合わせたなら、確かに合点がいくあだ名だった。

「僕ですか? なんですか?」

「学生なら麻雀は打(ぶ)てるね。ちょっと来てよ」

「あの、でも、授業」

「一日くらいどうってことないさ」

 彼女は三階のドア前から、彼の目の前に飛び降りる。ハーピーらしく減速してふんわり着地した。

「いいから」

 空を飛ぶ関係上ハーピーの骨密度は低く、ふわふわの羽毛も相まって見かけの大きさよりずっと軽い。だから、成人男性の力でなら掴まれた腕を振りほどくことはできた。

 それなのに彼はそうしなかった。彼女の目を見てみたら、なぜだか誘いに乗ってしまおうと思えた。

 こうして彼は入学して初めて、授業をサボることになった。

 階段を上って、ドアが開かれる。その先にあったのは粗野な空間だった。昨シーズンに使っただろう石油ファンヒーターは置きっぱなしで、床は埃で立ち入らない領域が明らかになっていた。

「おー、揃ったな! 始めようや」

「今日は勝つぞ」

 壮年の男性二人が麻雀卓についていた。この空間には似合っていると彼は思った。

「あんちゃん、見ん顔やな。初めてか?」

「まあ……そんなところです」

「若いのによく来たな。程々にしとけよ」

 彼だって自由意志で来たわけではないが、ここまで来ておいてそんな文句を言っても仕方がない。

「座りなよ。必要なら飲み物を取って」

 彼女はドリンクバーを指差した。言われたとおりに、見た限りでは洗浄済みのグラスにコーラを入れて脇机に置く。

「この子は鷹丸。で、こっちがタツで、そっちがナナオ。仲良くね」

「よろしくお願いします」

「お、礼儀正しいな。ええよええよ」

 また彼と向かいあったミサはクリアファイルを差し出した。この雀荘のルールが記されていた。

「ルール説明ね。初めてだから。東南戦、二万五千点の三万点返し六万点で終了、アリアリ、このくらいでいい? ああ、レートはテンピン」

「テンピン?」

「千点あたり百円ってこと。半荘ごとに精算、ゲーム代が五百円」

 とどのつまり賭博ということだった。一応、法律上では公営競技と宝くじを除いて賭博は禁止されている。ただ、レートが低ければ容認されている。

「賭けるんですか?」

「そうしないと面白くないでしょ? 席決めしよっか」

 裏返しでシャッフルした東西南北の牌を取って、場所を決めた。鷹丸の両脇にタツとナナオ、向かいあってミサが座った。サイコロを振った結果では親はタツからだった。

「じゃあ点棒揃えてもらっていい?」

 前回のゲームのままで偏っている点数が二万五千点に均される。二万五千点の三万点返しとはゲーム終了時に三万点の持ち点で計算するものだから、既に五百円の負債を抱えていることを意味した。

 タツが卓上のボタンを押すと口が開いて、全員で協力して散らばっている牌を投入する。もう一回ボタンを押すと口が閉じて、彼の前に十三枚の牌が現れる。

「そういえばさ、結局鷹丸は麻雀できるの?」

「いやそっからなんかい」

「高校でちょっと教わったくらいです。基本的な役を作るは分かりますけど、点とかは分からないです」

 右手に座る親が牌を捨てると彼は山から牌を取り、少し考えて不要だと思った牌を切った。

「おいおい麻雀の授業があるんか! ええ学校やのう」

「いや放課後に混ぜてもらっただけですよ」

「なんや~あんちゃんジョークやで!」

 そのまま進行し、不意にナナオがツモ和了りをした。それに比べるとタツは大きい手を用意していたようで手元を明かした。この頃にはミサだけ人が変わったように真面目で、表情も口数も乏しかった。

 そして親が鷹丸に移る。誰も和了ることができず、タツとミサが上がり一歩手前のテンパイをした。罰符として鷹丸とナナオがそれぞれ千五百点を支払った。

 親が二回回った後で最終的な順位は一位二位がタツとナナオで、三位四位が鷹丸とミサだ。真剣そうに打っていたミサだが成績は伴わなかった。

「ミサミサ~調子悪いんか~?」

「そうかもね」

 穏やかに笑って見せているようで、彼の鼻はいやにミサが抱いているストレスを嗅ぎつけていた。

 現金が動く。ゲーム代の五百円と賭けの負け額が彼の財布から消えた。もうこの時点で彼は止めて出て行きたかったが他の三人は続けることしか考えていない。

 新しくゲームが始まる。客の二人が浮いているから席はそのまま、親だけが変わってスタートする。そうして始まった二回戦でまた鷹丸は三着で支払う側に終わった。ミサは二着で、今度は現金を受け取る側に回った。

 ゲームは続く。鷹丸は五回戦まで二着か三着が定位置で総じて負けている。昼食を理由に帰ろうと思ったがその時点でトップ目のタツの出資で宅配ピザを注文して食べることになった。他の客が来ればもっと容易く抜けられただろうが、平日の昼間から動ける人間は限られている。

 午後のゲームも流れは変わらず彼は負け続きだ。放銃はしなくてもテンパイ辿り着くかどうかで、流局してノーテン罰符を支払って順位を落としがちだった。

 そして二人の時間的に最後のゲーム、最後の南四局、オーラスに差し掛かった。親はミサだった。ここまで彼女は一着か二着の浮き気味だ。

「カン」

 いままで静かで仕掛けが少なかったミサが鳴く。暗カンで🀑が並ぶ。カンドラは🀓だった。

 鷹丸の手配はイマイチで山が半分進んだ時点で二向聴だ。ツモってきても有効になることが少ない。

「カン」

 しばらくしてミサがまた鳴いた。赤ドラを含む🀋の暗カンで、カンドラは🀡だ。リンシャンで上がらなかった。

 残りの山が4枚になった時点で、またミサが仕掛けた。

「リーチ」

 牌を横にして切って、千点棒を供託に出す。ここから先はリーチが許されない。

「ポン!」

 その声は息を吐いて出た。鳴いて、鷹丸のテンパイが食い下がりで和了れなくなった。そして鷹丸の右前のナナオがツモる。そのまま河に切った。ミサがツモり、そのまま河に切る。そして最後の牌がタツの手に回る。

「迷うわ~」

 この時点でタツはトップだ。絶対的な点差とはいえないが、切り抜ければトップだ。長考の末に出されたのは🀁だった。河に二枚切れている。鷹丸は息をのんだ。

「おおそれ! ロン!」

 ナナオが叫ぶ。最後の捨て牌だ。タツはその選択を失敗した。

「ホウテイ、ホンロウ、チートイドラドラ、1万2千点! 跳満だ」

「うわっデカいな……これラスったやん!」

「こないだのお返しな」

 一位が三万四千点でナナオ、二位が二万八千点でミサ、三位が二万点の鷹丸で四位は一万八千点でタツになった。さっきまでトップはタツだったが、三位のナナオに放銃して落ち込んだ。

 そのお陰で鷹丸は三位に浮上できた。とはいっても、彼は二千円の支出が強いられた。

「ほなまた~」

「じゃ、次回もよろしく」

 夕暮れを告げる区内放送を合図にタツとナナオの二人は帰っていった。そして雀荘は二人だけになった。どの卓も稼働停止していて静かだった。

「ねえ、ちょっと、いいかな」

 鷹丸は店に建て替えてもらっている部分を精算して帰ろうと思った。財布の中身はすっからかんだから、断って手数料がとられる時間になる前にお金を下ろしてこようと考えていた、その矢先だ。

「アンタ、どうしてあそこでポンしたの?」

「……え?」

 確かに最後の最後で彼はミサの捨て牌を鳴いた。

「ツモ順入れ替えたでしょ。アタシにラス牌をツモらせないように。何か見えてたの?」

「いや、あれは……何となくで」

 正直に答えると問答無用で翼が彼の喉を打つ。体が持ち上がり、床に引き倒される。鋭い爪が彼の首を押さえた。

「テメエとぼけるのも大概にしろよ。初心者だと思って見てたらよくもぬけぬけとウチでサマやりやがったな。何のつもりだ!!」

 ミサは身を屈めて大声で詰め寄る。皮膚に食い込んだ先端はもう少し押し込めば喉を裂くことが出来た。

「……あの、舌は」

 生命の危機のはずなのに彼は余計なことに気が向いた。彼女と対面してからずっと抱いていた違和感の正体だった。スプリットタンと呼ばれる人体改造で、彼女の舌は二叉に分かれていた。

 ピアスやタトゥーの入り具合からして、他にも人体改造を施していても不思議ではない。だけど体内の粘膜にまで手を出しているのは彼にいくらかの威圧を与えた。

 ハッと彼女は口を押さえる。そして彼の上から降りた。

「ずっと二万点を切ってないのに気付いてないのか?」

 麻雀の成績を彼は覚えていなかった。ただコンスタントに消えていく千五百円を見送るばかりだった。だから、何も言えることがない。

「そうだったんですか?」

「え? マジに無自覚なの? 少なくともどっかの雀荘でメンバーとかやってなかった? 本物の初心者?」

 確かに彼は高校の頃に仲間内で数ヶ月の間打っただけだ。ネットゲームとしても触れていない。雀荘のメンバーというのも彼は理解できなかった。

「もしポンしなかったらどうなってたんですか?」

 ミサは鷹丸を起こすと手牌を見せた。🀋🀌🀍🀋🀌🀍🀠で断ヤオ一盃口ができている。それに🀑と🀋の暗カンが加わる。

「で、本当ならこれツモってくる予定だった」

 タツの手牌から🀠が現れた。海底、面前ツモ、リーチ、一発、ドラ三で倍満八千点オールだ。

「リーチだから裏ドラもね」

 彼女は王牌をめくる。🀐、🀐、🀊と続いた。カン裏ドラが十二個も乗っている。数え役満になり、一万六千点オールだ。圧倒的なミサのトップでゲームが終わるが、それだけでは済まない。

「……祝儀ですか」

「そ、数えだから役満祝儀五枚はないけど、リーチ上がりしたから一発とドラ十五。だから全員から十六枚もらう予定だった。まあ、そんなことしたらあの二人は向こうしばらくここに来ないでしょうから、その点は鷹丸に感謝すべきかも」

 この雀荘では役満とリーチ上がりでチップの授受がある。数えを除く役満で五枚、リーチで上がれば一発とドラに応じた枚数が動く。ロンなら放銃者、ツモは全員からだ。そしてチップは一枚五百円だった。

「どう、やったんですか?」

「あ、やっぱり疑う?」

 裏でだけ、しかも全てカンにドラが乗っている。彼は異様な偏りを感じていた。

「当たり前ですよ」

「証拠は?」

 もちろん無い。見回した限りでは監視カメラの類も設置されていない。

「その場で指摘しないとダメだよ、イカサマは」

 必死でさっきの所作を思い返したが、疑わしい所は鷹丸に思い浮かばなかった。

「雀荘オーナーってそんなことするんですか?」

「まさか! パンピー相手ならヒラでいい気分にさせながら浮くくらいできるよ。今回は……今回は……」

 ミサの顔が陰る。

「大人げなかったね。はっ倒してごめん。怪我してないといいけど。これは言い訳だけど、雀荘としてそういう輩は出禁にしないといけなくて」

「あんな風に恫喝するんですか?」

「うん。野郎のキンタマ蹴り潰したこともあるよ」

 ちょっと鷹丸は内股になった。ハーピーはたいてい、脚力がある。

「じゃ、精算しよっか」

 派手な負けはしてないが、勝ってもいない。金が無いとは恥ずかしくて言い出せず、現金自動預け払い機の世話になると言うほか無い。

「朝から今までだいたい八時間だから一万円、ゲーム代バックで四千円、建て替え分を引いて一万二千円ね」

 しかしミサはレジから現金を抜いた。そして鷹丸に渡る。

「アタシから誘ったんだしね。ホントはふんだくる手筈だったけど失敗しちゃったし、ウチのメンバーってことで、給料」

「麻雀でお給金ですか」

「プラマイゼロだと思うけど。麻雀自体は負けてるから」

 確かに懐事情は激減から漸減になったくらいだ。

「ただセンスあるし、上手くなればプラスになるかも。まあ、普通にバイトした方が儲かるよ。赤字になるリスクも無いし」

 その通りだ。給料を確保するなら勝たなければいけない。しかしかといって本気でやれば金を取る相手がいなくなる。

「気が向いたらでいいけど、またおいで。メンバーとしても、客としてでも」

 ミサに見送られて彼は建物を出た。陽は傾いて帰りがけの人が多い。喫茶店は閉まっていて、夜からのバー営業の準備をしていた。

「やべーな、ここ……」

 スマートフォンの通知で、同級生が欠席を尋ねているメッセージが入っていた。体調が悪いと嘘をつきながら、今度からは代返を頼めるようにしておこうと鷹丸は思った。


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