レーナとイヴ『友達』(約2万字) (Pixiv Fanbox)
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2156年 1月 これは私たちが参加した第一次実地訓練の模様、その全容。
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▲小説を読む前に読んでいただくと理解しやすいかもしれない世界観設定です。
「それじゃあこのプリントを配りますね」
担任の先生がそう言うと席の最前列の生徒にプリントを渡し始めた。最前列の生徒は自分の分のプリントを手に取ると、残りのプリントを後ろの生徒へ手渡した。私のところにもプリントがようやく届く。プリントには実地訓練のお知らせと書いてあった。プリントが生徒全員に行き渡ると、途端に生徒たちがざわつき始めた。
「野営するの?ピクニック!?」
「バカ、んなわけないだろ!」
「生徒だけで行くって書いてあるけど……」
どよめく生徒たちを尻目に、私の隣の席の生徒―――イヴはつまらなさそうにプリントを一瞥すると、再度窓の方へ向き直り手をほおに当ててぼんやり空を見始めた。いつものことだ。
「先生、この訓練は4月に行われる▪︎▪︎区奪還作戦の予行練習といったところでしょうか?」
私は先生にそう問いかけた。教室は静まり返った。
「その通りよ、レナータ。さすが察しがいいわね。レナータの言う通り、これは3ヶ月後に予定されている奪還作戦の予行練習です」
先生は少し表情を固くすると、説明を続ける。
「貴女たち白い神は……黒きものと戦うべくして生まれ、そして今までここで学んできました。そして貴女たちがここで戦闘・戦術を学び始めて3年が経ったわ。今までよく学んできたと思います。ようやくその成果を発揮するときがきました。実地訓練は白葉ができてから初めての試みになります。白い神3期生としての活躍を期待しています」
先生はそう言うと、クラスを見渡した。張り詰めた空気が教室に充満する。
「詳細は追って連絡をします。それでは今日の授業は終わりです。各自プリントによく目を通すように。解散」
……
放課後、天候、曇り。白葉校舎屋上。私はいつものところで風を浴びていた。ひんやりとした風が刺すように吹き付けてくる。そしていつもの時間になるとイヴも屋上にやってきた。
「いい加減、私に合わせてここに来るの、やめてくれない?なるべく一人でいたいのだけど」
「それは……ごめんなさいね。あなたの時間を邪魔するつもりはなかったのよ……でも私もここの景色が好きだから」
イヴは大きくため息を吐くと、給水タンクの上へと軽々と登って行った。
「なんでレナータはさ」
「あら!!!うん!何かしら!」
私が間髪入れずに返事をするとイヴは目を丸くしながらこちらを見てきた。その様子がかわいらしくて、なんとなくからかいたくなったけれど、きっとイヴのことだから今からかったらもう二度と口をきいてくれないような気がしたので黙っておくことにした。せっかく初めてイヴから私に話しかけてくれたのだから。
「なんでそんなに嬉しそうなのよ……まあともあれ……どうして私にそこまでして関わろうとするわけ」
今度は私が目を丸くしてきょとんとしてしまった。
「お友達になりたいから……?」
「なんで答えるあなたが疑問形なのよ!」
取り乱すイヴもまた、かわいらしい。そういえば。確かにどうして私はイヴと友達になりたいのかしら?
「私とお友達になるとお得よ、イヴ。私は毎日あなたにあなたの好物の牛乳をプレゼントしてあげるわ!」
「はぁ!?」
イヴはさらに素っ頓狂な声を上げた。何やら一人で、「ありえない……」とぶつぶつと呟いている。
「私だって友達がどういうものか知っているっていうのに……そんなの友達じゃないでしょ。あなたが言うお友達は王様と平民の関係よ」
私はすっかりびっくりして、イヴからお友達についてたくさん聞きたくなった。
「ここの白い神さんたちは違うけれど、私と友達になりたがる人はみな、私の財産と権力が目当てだったから、イヴもてっきりそういったものを望んでいるのだと思っていたわ」
私の発言にイヴは目を大きく見開いた。真剣な眼差しになる。
「あなた、それに何も思わないわけ」
私は心底不思議な気分になった。どうしてそんなことを聞くのかしら。
「お金や権力、ものが欲しいのは当たり前のことじゃない?何がおかしなこと言ったかしら……イヴは何も要らないの?牛乳好きじゃなかったっけ?」
「牛乳は確かに好きだけど!要らないわよ……友達から献上してもらうほど飢えていないって……」
イヴって不思議ねえと言うと、あなたの方が不思議よ、とイヴは呆れながら言ってきた。
「まあ……仮に私とレナータが『お友達』になったとして、あなたに特はあるわけ?私だけが牛乳をもらって得することになるけど」
イヴはいつの間にか給水タンクから降りてきていた。
「あなたといて……楽しいわ」
私がそう言うと、イヴは意外そうな顔をして答えた。
「ふーん。なんだ、そういうのは分かっているんだ」
イヴが先ほどから言っていることが、私の理解に及ばない高次元なものに思えて、イヴがより遠い存在に思えた。ひゅうと風が私たちの間をすり抜けていく。私は思わず身震いをした。緯度がそこまで高くないとはいえ、この都市の冬はとても冷える。実地訓練は12月末に行われる予定だ。今よりもっと冷えるだろう。いろいろ毛布やカイロの準備をしておかないと。私はただの人間だから。イヴは寒くは感じていないようだ。イヴは白い神だから。
「何、急に黙って……」
「あら……ごめんなさいね、ちょっと寒いなあって」
イヴは屋上に来るならマフラーをするなり防寒対策をしてきなさいよと言ってきた。私は笑顔でうん、と言った。
「イヴ、私のことはレーナって呼んで頂戴な。クラスメイトはみんな私のことをそう呼んでくれるの。あとね、あなたが言う友達がどんなものなのか、私に教えてほしいわ」
……
自室。午前0時13分。
「実地訓練ね……」
私はベッドに寝転がると、今日配られたプリントに再度目を通した。どうやらAクラスとBクラスCクラスの全校生で行われるらしい。私たちの通う学校、白葉は白木内にある白い神を養育する場だ。……どうして一般人の白い神でない私がこの学校に通っているかというと、私の父が白木の最高司令官で、私は灰骸化の研究をしているので、特別に許可を得ているから。
そんな白葉はクラスがABC(АБВ)とあり、クラス分けは成績順となっている。Aクラスは私が所属しているクラスで、成績上位者が入れるクラス。Bクラスは中程度の成績のもの、Cはその下の成績のものが所属している。なので、実際に現地へ赴くのはABクラスで、Cクラスは後方支援を担当するようだ。
「ABクラスで生徒数36人……戦闘経験があるのはヤニーニャちゃんだけ……うまく行くのかしら……」
ヤニーニャちゃんは世界で初めて生まれた白い神で、彼女の解析によって黒きものに有効な火薬が開発され、白い神も量産されるようになった。また、ヤニーニャちゃんは自らの申し出で、わずか12歳で前線へ向かい、黒きものを10体も倒すという異例の快挙を成し遂げ、15歳になった今もなお最前線で戦い続けている白い神の中で唯一のベテランだ。ところが他の白い神たちは未だ実戦の経験はない。イヴに限って言えば多少特別だけれど……彼女の場合は白木に保護される前は野外で生活し、窃盗を繰り返していた。戦闘技術がないとは言い難いけれど、黒きものと直接戦ったことはない。
プリントに記載されている指揮官生徒:レナータの文字に心がざわつく。私は白葉の代表生徒だ。当然の役回り。わかっていたこと。今更どうこう言っても仕方がない。私も含めて素人だらけのこの実地訓練は、私の指揮がより重要になってくる。
「がんばらないと……ね」
ずっと望んでいたことだ。前線に立ち、灰骸化・灰霧を実際にこの目で見て、観察し研究をする。ようやくここまで辿り着くことができた。この好機を逃すわけにはいかない。
「その為に白葉にお父様に頼み込んで入学したのだから……」
ベッドから立ち上がると立ちくらみで足元がふらついた。突如として猛烈な吐き気に襲われる。私は急いで流し台に向かった。鏡に映った自分の顔はあまりにも蒼白で、死人のようだった。
……
実地訓練当日。天候は曇り、晴れ。時刻は午前5時。私たちを乗せた大型輸送機は大きな音を立てて上空へと飛び立った。ヘリの中はピクニックだと浮かれている生徒……ニーナちゃんもいれば、酔ってしまった生徒……マリヤちゃん、不安で固まっている生徒もいて大騒ぎだった。Aクラスのリーダー的存在のジェーニャちゃんはあっけらかんとして、大きな声で笑っている。彼女のおかげで、おびえている生徒の、ユーリアちゃんは少し安心したようだ。ヤニーニャちゃんは落ち着いていてさすが、といった感じだ。私の隣の席のイヴは相変わらず頬をついて窓の外を眺めている。私はそんなイヴに倣い、気を紛らわすために必死に本作戦の概要が書かれたパンフレットを読み返していた。パンフレットのページをめくる手が少し震える。うまくページがめくれない。
「震えている」
「っ!」
さっきまで窓の外を見ていたイヴが急に話しかけてきたので、私は思わず声を上げてしまった。
「あ……別に怖がらせるつもりはなかったんだけど……あなたでも緊張するんだ」
イヴは苦し紛れに笑いながらそう言ってきた。イヴは人を励ますことが苦手だ。挑発的に聞こえるかもしれないけれど、これはこれで私を気遣ってくれている。
「ええ……まあね。生徒みんなの命は私にかかっているから」
「そうね……」
イヴの表情が少し曇ってしまった。てっきり大袈裟だよと言ってくるかと思っていたので、意外な反応だった。イヴもイヴで平静を装っているだけで、とても緊張しているのかもしれない。
「心配してくれてありがとう、イヴ。私は大丈夫よ」
私はにこやかにイヴにそう告げた。すると予想通り、イヴは顔を真っ赤にして早口で心配したわけじゃないわよ、と小声で言った。私はくすっと笑うと、再びパンフレットに目を通し始めた。手はもう震えていなかった。
……
無事に私たちの輸送を終えたヘリはもうすでに豆粒の大きさとなって空を飛んでいる。私たちは手を振りながらヘリを見送った。
今回の実地訓練は、この■■山をスタート地点として、南東へ向かい旧■■都市を抜け、白木の基地の1つである■■基地に到着すれば成功といったシンプルな内容のもの。ただ、完全に徒歩で移動するので最低でも5回野営をしなくてはならない計算になる。また、移動中に黒きものに襲撃される恐れは十分にある。その点も加味したうえで計算し、■■基地に到達するには7日かかると私は見積もった。それを踏まえて、必要な食料や弾薬の発注・準備を行った。とはいっても、白い神は水さえあれば最低でも2週間は生きられるように体が作られている。当然水以外の食糧も他生徒たちに携帯させたけれど、私だけが、重たいリュックを背負うことになった。
「黒きものに襲われた際は集団行動は危険だわ。なので万が一のことを考えて、1グループ6人編成の班を作ろうと思います。テントで野営する際も、班ごとにお願いするわね。また班それぞれに役割を当てて、班ごとに別行動をとってもらうこともあるわ」
私を囲うようにして35人の生徒たちは私の話に耳を傾けた。
「グループはそれぞれ1~6班と命名します。メンバーの振り分けはもう行ったので、名前を呼ばれた人は前に出て頂戴ね。また班長に任命された子は班長会議に出席してもらうわ」
私は事前にABクラスの中でどの生徒が仲が良く、相性が悪いのかを調べておいた。なので仲がいい人同士は同じ班に入れ、相性が悪い人同士は同じ班を避けるように人員を配置した。また戦闘面においても得意不得意を補完するように人員を配置することも心がけた。
「1班が私、イヴ、ダーリヤ、ユーリア、アルヴィナ、ディアーナ。班長は私よ」
続いて2班、3班、4班、5班、6班とメンバーと班長を発表していく。生徒たちの反応を見るに、私の事前調査は正しかったようで、メンバー分けを確認して安どの表情を浮かべている子たちを見て、私もほっと一安心した。
「移動中も班ごとにまとまって移動すること、それでは出発しましょうか」
「はい!」
日は頭の上にある。1班の私たちを先頭に、6班のヤニーニャちゃんたちを最後尾に配置して、木々を搔き分けながら旧都市のある方角へと進んでいった。
……
「レーナは白い神じゃないのにどうしてこの訓練に参加したの?」
足元の石を鼻歌交じりに蹴りながら訪ねてきたのはダーリヤちゃんだ。
「危ないんじゃないかなって。私たち白い神は体は頑丈だし灰霧の影響も受けないけど、あなたは違う……なにより最高司令官の娘でしょ……万が一のことがあったらって思うと気が気じゃないよ~ ね、ユーリア!」
ダーリヤちゃんはそう言うとユーリアちゃんに飛びついた。
「ひゃい!あっえと……た、確かに興味がある……かも……」
ちょっとおどおどしているこの子はユーリアちゃん。ちょっと気弱だけれど心はやさしい女の子。
「灰霧と灰骸化の研究のためよ。ずっとこの目で見てみたかったの……足は引っ張らないわ……そのために白葉でみんなと同じ訓練を受けてきたわけだしね」
「それにしても……危険すぎでは……よくお父上が了承してくれたね」
私の返答にアルヴィナちゃんはやや不服そうにつぶやいた。ユーリアちゃんは言葉を一生懸命続けた。
「その、レーナちゃんは灰霧とかの研究をしているんだよね……同い年なのにすごいなあ……あっ同い年とは言っても私たちは肉体は15歳だけど本当は3歳なんだよね……へへ、なんか変な感じ」
「確かに変な感じだなあ。そういや私たちが3期生ってことは1期生、2期生もいたってことだよな?いないってことはあたしたちが生まれる3年前にはもう全員死んじまったのか?」
ディアーナちゃんの発言からグループ内に沈黙が訪れた。枝を踏む軽い音が響く。最初に口を開いたのは、アルヴィナちゃんだった。
「ディアーナは無神経すぎ。ほら、ユーリアが震え始めた」
ユーリアちゃんに視線を向けると、足元はがくがくと震え、目が泳いでいた。足取りは重く、私たちからどんどん離れていってしまっている。
「大丈夫よ、ユーリアちゃん……白い神は年々改良されて行っているの。だから3期生のあなたたちはとても強いんだから。それに私が付いている。ね?」
「ありがとう、ございます。レーナさん……」
ユーリアちゃんはそう言うと小走りをして私たちの後についてきた。イヴは相変わらず黙ったまま。それでも私と同じ班になったことを否定してこないだけずっといいかな、なんて思っていた矢先。
「なぁ、ずっと黙ってないで何か言ったらどうだ新入生?」
ディアーナちゃんがイヴを挑発し始めた……ディアーナちゃんはジェーニャちゃんに次ぐAクラスの2番目のリーダー的存在で、少し我が強い。イヴとディアーナちゃんの衝突は十分に考えられた。けれど、人員を配置していくうえでどうしてもイヴとディアーナちゃんを同じ班に加えなくてはならなくなった。なので私がいつでも仲裁できるように、私のいる1班に配置したのだけれど……
イヴは相変わらず黙ったまま。ディアーナちゃんは舌打ちをする。ディアーナちゃんの苛立ちがこちらにも伝わってくるようだ。
「そのすかした態度が気に入らないんだよ……」
ディアーナちゃんは吐き捨てるように言った。
「ディアーナちゃん、イヴはあまり話すの得意じゃなくて。でもイヴも……話しかけられたらちゃんとお返事するのよ」
私はすかさずイヴとディアーナちゃんの間に入った。
「なんでレーナはいつもそいつを庇うんだよ……」
イヴは相変わらず黙っている。
「ディアーナ落ち着いて。なんでまたユーリアを怖がらせるような空気にすんの」
アルヴィナちゃんも間に入ってくれた。アルヴィナちゃんはディアーナちゃんと同日に生まれた白い神で、ディアーナちゃんとは性格が真逆だけれど、いつも二人は一緒にいてとても仲がいい。ディアーナちゃんは物事をはっきりと言いすぎるきらいがある。それを緩衝してくれるのがアルヴィナちゃんだ。
「そうだよ!!仲良くしようよ~!もしかしてお腹すいたの?」
「ちげーよ!」
イヴ以外を除いたみんなの笑い声が響く。ダーリヤちゃんも間に入ってくれたことで、ようやく空気は落ち着いてきた。ダーリヤちゃんは誰にでも優しい元気な明るい女の子で、誰であろうと分け隔てなく接してくれる。なのでイヴとディアーナちゃんのいるこの1班に加えたというのもある。どうやらそれが功を奏したようだ。ほっと安心する。
……なんやかんやでイヴを除いたメンバーでの雑談は進んだ。黒きものと遭遇することもなく、無事当初予定していた地点に到達した。もうじき夜が訪れる。日が傾いてきた。森の夜は早い。今日は初日ということもあるので、早めに野営の準備に取り掛かることにした。
……
「3班は水の確保、5班は調理、6班は見回り……4班には明日の……」
「レナータさん!この薪はどこに置いておけばいい?」
「あっ、そうね、5班のテントのわきに置いて頂戴」
聞いてきたこの子はBクラスの4班に配属した子で……名前はジャスミンちゃんだ。私の返事を聞くなり、ありがとう!と言って颯爽とその場を去っていった。私はそんな彼女の背中を見送ると再度書類と地図に目を通す。南の山道は入り組んでいるが近道だ。けれどリスクを背負ってまで焦る必要もない。予定通り東の緩やかな山道を行くことにしよう。今日の雲の流れからして、天候は雨になる可能性が高い。各位食料を湿らせたり風邪をひいたりしないように装備を整えなくては。後は…
「お偉いさんは忙しそうね」
「イヴ」
イヴは私しかいないテントにずけずけと入ると奥の方で胡坐をかいた。
「そうかしら……これくらいこなさないと。私は白い神ではないから戦闘となるとそこまで役に立てないし……こういうところで力をみせないとね……でも確かに……ちょっと疲れちゃったかも」
イヴは少し遠くの方を見ているようだった。
「……ふふ、どうしてかしら、イヴといるとみんなには言わないようなことを言ってしまいそうになるわね、イヴは不思議ね」
「そう言うあなたの方が不思議で不気味よ。どうしてそんなにいつも、なにがあってもへらへら笑っているのよ……今日だって」
イヴは私の方へ向き直るとそう告げた。表情はいつになく真剣だった。
「だから今日ディアーナちゃんが話しかけてきても、むすっとしてお返事しなかったのね」
「あいつは最初からケンカするつもりでいた。何をしたってああなっていた」
イヴはそう言うと立ち上がった。
「ディアーナちゃん、繊細だから」
私の返事にイヴはそうかもね、と言うとテントを出ようとした。その瞬間イヴが異変に気付く。それと同時に6班に配属したアンナちゃんがテントに飛び込んできた。
「約2mの黒きもの30体が拠点の1km先に突然現れ、6班が交戦中!至急増援をお願いします!」
「わかったわ、2班、4班、5班に出撃させます!」
私は急いで通信回線を開くと2班4班5班に出撃、3班に周辺の見回りを命じた。また、遮蔽物の多い森林で2mと比較的体格が小さい黒きものと交戦するのは、戦闘慣れしていないみんなにとっては難儀だ。なので各班の班長に指揮を任せるのでなく、戦闘慣れしているヤニーニャちゃんに全体的な指揮をお願いした。大変な役割であるにも関わらず、ヤニーニャちゃんは快く引き受けてくれた。通信を終えると灰霧用のマスクをリュックから取り出しておいた。黒きものは灰霧という物質を常に排出している。灰霧は一定時間が経つと完全に消失するも、少量でも吸引すれば身体に灰骸化の症状が出てしまう。白い神は灰霧の影響を受けない。この場で唯一のただの人間の私だけがこのマスクをする必要がある……
アンナちゃんが去っていくと、再びテントに人影が現れた。ディアーナちゃんだ。
「あたしらは行かなくていいのか!?」
「私たちは拠点に待機して、多方向から襲撃があった際に備えます。それに6班にはヤニーニャちゃんがいる。問題はないわ。先ほどヤニーニャちゃんに現場の指揮をお願いしました」
ディアーナちゃんは「そうか」と言うと少しつまらなさそうな表情をした。そしてすぐにそばにいたイヴの存在に気づいた。
「よう、元気か?」
イヴは少し眉間にしわを寄せた。最悪だわ……二人が鉢合わせてしまった。ここにはまだアルヴィナちゃんもダーリヤちゃんもいない。私だけでこの場を持たせないと……それに今この事態にケンカをされたら士気に関わる。私が間に入ろうとしたその時、
「うん」
イヴが返事をした。ディアーナちゃんは豆鉄砲を食らったような表情をした。私も同じような表情をしていたと思う。「そ、そうか、なによりだな……じゃあまた」そう早口で言うとディアーナちゃんはテントを去っていった。外は喧騒に満ちていたけれど、テントはしんと静まり返った。テントには私とイヴだけが取り残された。
「…………イヴ~~~~~~~~!」
私は勢いあまってイヴに飛びついた。
「ちょっ、な、なによ!」
「ちゃんとお返事できてえらいわね、いいこよ~」
私はじたばたと暴れるイヴを抱えたままイヴの後頭部を撫でた。イヴの髪は柔らかくて、ずっと撫でていたくなる触り心地だった。それに女の子のいいにおいがする。
「は、はあ!?は、離して!私とあなたはたいして年が違わないじゃない!撫でるのをやめて!それに大袈裟ね……!まるで私が喋らない人間みたいじゃない!」
私は笑顔のままイヴから離れた。
「それもそうね、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。うふふ」
イヴは溜息を吐きながらテントを去った。まさかイヴがちゃんとお返事するなんて思ってもみなかった。なんて言ったらとっても失礼だけれど、でも本当に驚いてしまった……これを機に、ディアーナちゃんとイヴが仲良くできたら良いなと思った。イヴのおかげで、少し緊張がほどけた。私はテントに待機したまま、ヤニーニャちゃんからの連絡を待った。
……
戦闘の結果は大勝利だった。ヤニーニャちゃんを中心にジェーニャちゃんが補佐役となって、すべての黒きものを討伐することに成功した。この勝利は皆に自信をつけさせ、士気があがるきっかけとなった。
それからは順調で、何度か黒きものと交戦したものの大きな損失もなく、無事に私たちは勝利を収めていった。予定通り3日目には山を降りることができ、■■旧市街に入ることができた。
「前方約2km先に約10mの黒きものを10体確認!1~3班、4班~6班に分かれて各個撃破を!」
黒きものはまばらにゆっくりと歩きながらこちらに向かってくる。私たちの存在には気づいているようだ。私の合図とともに班がそれぞれ配置につく。私は灰霧用のマスクを装着した。
「久々の戦闘だ!腕が鳴る!こうでなくちゃ!」
ディアーナちゃんは興奮しながらそう言うと、近くにあった木に隠れてAK-12を取り出した。
「ディアーナはそう言っていつも前に出すぎるから気を付けたほうがいいよ」
イヴもディアーナちゃんに続き、近くのがれきに身を隠しながらそう言った。
「言うようになったじゃねえかよ、イヴ……」
「本当そうなんだよ。それを後方で支援する苦労ったら……イヴ、わかるね……」
「前に出るは戦果を比較してくるわ、戦闘中も戦闘後も面倒くさいったらありゃしない」
アルヴィナちゃんがため息交じりに言うとイヴはうんうんと頷いた。
「ディアーナちゃん!散々言われているよ!」
ダーリヤちゃんは大笑いしている。私も彼女に続いて続いて笑ってしまった。緊張していたユーリアちゃんも少し笑っている。ユーリアちゃんは戦闘になるとどうしても緊張で固まってしまうタイプで、そこがいつも心配だったけれど、今回は大丈夫そうだ。ユーリアちゃんの気持ちはよくわかる。
「大丈夫?ユーリアちゃん」
私はいつも、戦闘が始まるといつもユーリアちゃんに問いかける。おまじない……願掛けみたいなものだ……
「はい……!足を引っ張らないようにがんばります!あの、いつも心配してくれてありがとうございます……!」
「いいのよ……」
私も、毎度のことながら戦うことが本当に怖くて、怖くて仕方がないのだから。ユーリアちゃんにこうして確認することで、自分自身は大丈夫なんだって言い聞かせているのだと思う……戦闘があった日の夜はよく眠れない。灰に侵されて死ぬ夢、作戦が失敗して責め立てられる夢を何度も見る。ユーリアちゃんもそんな夢、見るのかしら。
けたたましい銃声が鳴り響く。廃墟にとまっていた鳥たちは一斉に飛び立った。
ディアーナちゃんの的確な射撃が次々と黒きものを圧倒していく。それに合わせたアルヴィナちゃんの制圧射撃も完璧だ。イヴもディアーナちゃんと並び、黒きものに弾を撃ち込んでいく。すると黒きものは腕を振り倒した。それがユーリアちゃんの隠れていた壁付近の建物と衝突する。
「危ない!」
身を挺してユーリアちゃんを助けたのはダーリヤちゃんだった。二人が避けた地点に音を立てながらコンクリートブロックが雪崩れ込んだ。例え頑丈な体を持っている白い神でも、あのがれきに飲み込まれたらひとたまりもなかっただろう。ダーリヤちゃんは間一髪のところでユーリアちゃんを救い出すことに成功した。あの反射速度があれば、私もユーリアちゃんを助けることができたのかな。私が白い神だったら……
……
「……を!」
「レーナ!指示を!」
イヴの呼び声で私は意識を取り戻した。
「私としたことが戦場でぼうっとするなんて、情けないわね……」
「5秒。……それくらい私が時間を稼いであげるからもう気にするんじゃないわよ」
イヴはそう言うと私に背を向けた。
「ありがとう……イヴ。……こちらの黒きものは掃討できたので、4~6班と合流します」
私はいつも誰かに大丈夫?と聞くけれど、本当に大丈夫と言ってもらいたかったのは私の方なのだわ。
……
夜。時刻は午前1時54分。天候は曇り。空を覆う雲は分厚くて、星は見えない。テントの周囲を少し歩く。夜風は私を叱るように冷たく刺してきた。
「レナータ」
背後から声がしたので、手にしていた’’もの’’を素早くしまった。振り向けばそこにはイヴがいた。
「さっきはレーナって呼んでくれたのに逆戻りね」
イヴは視線を逸らすと、早く寝たほうがいいよと言ってきた。それはイヴも同じでしょうと言うと、それはそうだけど、と言葉を詰まらせていた。
「こんな人目のつかない場所にいたら危険だよ……」
イヴの忠告に私は頷く。すこし歩いてがれきの上に腰かけた。ひんやりとした感覚が伝わってくる。
「イヴは眠れないのかしら。私はね、寝たくないの」
「嫌な夢を見るから?」
イヴの的を射た発言に心臓が大きく動いた。
「言うべきじゃないんだろうけど、夜にレナータがうなされているの結構見ていたから。みんなも心配している」
「えっ」
隠していたつもりだったけれど、どうやら取り繕えていなかったようだ。まだまだ未熟者だなと思った。
「ディアーナなんて大慌てで、あたしが悪いんじゃないかって何度も聞いてきてすっごい面白かったよ。ダーリヤは今度ケーキおごってくれるって」
「みんな優しいのね……」
「私なんかにって思ったでしょ」
……どうしてわかるの?
「わかるよ、だってあなた私と似ている」
……似ている?どこが?
イヴはいつだって堂々として自分の意見をはっきり言えて、この場には自分がいてもいいって自信を感じさせる何かがある。一方で私は、何かをしていないと、みんなのためになにかをしないと、この場にいる権利や資格さえもないような気がして、いつだって自信がなくて。いつだって誰かの迷惑になって。今もそう。それにイヴに甘えている今の自分に不甲斐なさ、やるせなさを感じる。
「私は表情を表に出さないことで、その場をやり過ごすけど、レナータの場合は笑顔で逃げるでしょ」
……そうよ。誰にも迷惑をかけたくなくて笑っているの。自分をごまかすときに笑うの……でもね、いつしか悲しくても辛くても笑っていることが当たり前になっていたのよ。変でしょ。
「レナータは……がんばっているよ」
……そんなこと言わないで。
「イヴ……私は……っ」
「レーナ!寝袋にいないと思ったら!チャンスだよ!ほら!ディアーナ謝って!!」
突然真横のがれきから、ディアーナちゃんを引っ張るダーリヤちゃん、それをにやにやと見ているアルヴィナちゃん、そしてさらにそれを見ておどおどしているユーリヤちゃんが現れた。
「はい!謝罪!」
「レーナ今までごめん!!」
ダーリヤちゃんの合図とともにディアーナちゃんが頭を下げた。目まぐるしい展開に私は唖然としてしまった。
「いつもあたしは突出してみんなに余計な援護をさせて……イヴとケンカするわ、クワスで悪酔いして悪がらみするわ、空気は読めないわで……」
「わかってんじゃん」
イヴの発言にアルヴィナちゃんはさらに大爆笑。ダーリヤちゃんは腕を組んで頷いている。相変わらずユーリヤちゃんはおどおどしている。そんないつもの光景に私は思わず笑ってしまった。
「ありがとう、ディアーナちゃん。みんな。私はもう大丈夫。みんなのおかげですっごく元気になった……心配させちゃってごめんね」
「お安い御用だよ」
アルヴィナちゃんはそう言うと、ディアーナちゃんの肩をぽんぽんと叩いた。
「お前が言うなよ!」
「でも、レーナさんに謝るべきかどうかずっと悩んで、謝る内容をメモして暗唱していたの知っているよ……」
ユーリアちゃんの告白にディアーナちゃんは固まってしまった。
「お前もそっち側の奴だったのか!」
「ひっごめんなさっわーーー!」
ディアーナちゃんは冗談交じりにユーリアちゃんを追いかける。そんな様子を笑いながらイヴ、アルヴィナちゃん、ダーリヤちゃん、そして私はしばらくの間見つめていた。
「何の騒ぎ…?ってレナータさん?1班のみんな……?ど、どうしたのですか……?」
そこに現れたのは見回りを務めていたヤニーニャちゃんだった。
「ヤニーニャちゃん!うふふ、ちょっとね、親睦会……でもうるさくしてごめんなさい。静かにするわね」
「そうですか、楽しそうでちょっと羨ましいです……でも休養はとってくださいね。それでは」
ヤニーニャちゃんはにこやかにそう言うとその場を離れていった。それに合わせて隠れるようにイヴもその場を離れようとした。私は思わずイヴの手を握った。
「イヴは行かないで。もう少し私のそばにいて……大人しくしてるから」
「……わかった」
気づけば雲は晴れて、満天の星空が見えていた。
……
その悪い知らせで私たちは予定よりも2時間早く目を覚ました。見回りをしていた3班によると、200体以上もの黒きものがこちらに押し寄せているとのこと。そしてその大軍勢の背後には60mを超える大きさの黒きものがいるということ……
「こちらレナータ・ツヴェターエワ。応答願います」
6度目の連絡でようやく白木本部と回線がつながった。私は簡潔に今の状況を通信交換手に説明した。
「至急増援を。もしくは撤退のご命令を」
30秒の沈黙の後、告げられた言葉は、「増援の申請は許可できません。現場の戦力のみで敵せん滅願う」だった。
「なんでったって本部は援助してくれねーんだよ!今までどうにか戦ってはきたが、街1つ潰れるような、1つの旅団でどうにか対処できるレベルの大軍勢が押し寄せてきてんだぞ!?おかしいだろ!」
ディアーナちゃんの意見はもっともだ。作戦会議テントにはそれきり沈黙に包まれた。
「本部には本部なりの考えがあるのかもしれない……けれど今その理由を考えたところで、この現状を打破することはできないわ」
考えなくちゃ……この状況を好転させる方法を……被害を最小限にする方法を……
「私たちは包囲されている。まずは突破口を作ります!一点集中の一斉射撃ののち、左翼、右翼は左右に展開して突破口を拡大、2分した黒きものを左右で殲滅してください!」
まずはこれしかない。第一波を凌いで、遮蔽物の少ない地点へ移動する。
必死の攻撃で、どうにかあの場を離れることに成功した。それでも負傷した子は多くいる。泣いている子もいた。弾薬も多く減った。
……
「―――そして地雷などを使い、少しでも多く黒きものを消耗させたら、大型の黒きものを、比較的他の地点より柔らかい土壌のある地点に設置した地雷へ誘い込み、足元を崩して、一斉に射撃。討伐を目標にしています。質問は」
皆の視線が痛い。恐ろしい。こんな作戦で上手くいくのだろうか。手が震える。抑えないと。上に立つ者は、従える者に弱いところを見せてはいけない。指揮官は常に堂々としていること、それによって士気は保たれる。
「作戦決行は明日午前4時。各自それまでによく休むこと。解散」
フィルターの数を数える。残り6つ。ここの灰霧の濃度は0.00%だけれど、ひとたび黒きものがひしめく市街区に入れば、マスクなしだと1秒も持たずに体は灰になる。制限時間は6時間。それまでに決着をつけないといけない。それに水と食料も限られている……人間はこんなにも脆い……空を見上げる。月は見えない。真っ暗な周囲にこのままれてしまいそうで恐ろしい気持ちになる。
「レーナ!」
ひときわ明るい声がする。その方向を見ると立っていたのはダーリヤちゃんだった。
「全然寝付けなくって。良ければ話し相手になってくれないかな」
「もちろんいいわよ、むしろ私があなたのお話を聞きたいわ」
やったー!そう言うとダーリヤちゃんは私の隣に座った。
「私ね、レーナちゃんが羨ましかったんだ」
「えっ……」
ランプの明かりがちかちかと光った。びっくりしている私をみたダーリヤちゃんはへへ、と笑いながら話を続けた。
「レーナは人間でしょ、だから普通に生きられるチャンスがあって羨ましいなあって……私ね!普通になりたいなあっていつも思っていたんだけど、思えば思うほど、黒きものを倒さないとって気持ちになるの。変でしょ」
「そう……なの」
白い神の3期生には初の思考調整が施されているという。セリカ……白木の研究責任者のレポートにそう書かれていたのを記憶している。
「最初はさ、レーナのこと変な子だなあって思っていたの。そんな普通になれるチャンスがあったのに、こんな危険を冒して……でもそれがなんだか今はすごくかっこよく見える。それでね、最近レーナを見て思うのは、普通の人間も大変なんだなあってこと。白い神も人間も関係なくみんな生きることは大変なんだなあって思うの」
……かっこよくなんてない。私はエゴで、ここに立っているのだから……
ダーリヤちゃんはフィルターを指さしながら言葉を続ける。
「フィルターが切れたら、レーナは逃げてね。レーナは人間なんだから。でもそれを負い目に感じないでね。これはどうしようもないことだと思うから。私はレーナに生きてほしいの」
私は頷いた。ダーリヤちゃんの思いを無駄にしたくはない。だけど私が死ぬ時があれば、この子のそばで死にたいと思った。こんなにも優しい心を持った、この子のために、戦いたいと思った。たとえダーリヤちゃんのこの思考が作られたものだとしても。
「うむむ……また寝袋にレーナがいないと思ったら、ダーリヤも揃って夜更かし?よくないよ」
「そう言うアルヴィナも起きてこっちに来ているじゃーん!」
アルヴィナちゃんは眠たげに瞼をこすりながら、こちらへ歩いてきた。ダーリヤちゃんは嬉し気にがれきの上をぽんぽんとはたき、アルヴィナちゃんをそこに座らせた。
「ふぅ……ディアーナがいなくて静かでいいね」
「あはは、そんなこと言っちゃっていいの?幼馴染じゃん!」
アルヴィナちゃんは持ってきた水筒の水を飲みながら、いいのいいのと言った。
「確かにあいつは馬鹿でアホで間抜けだけど……」
アルヴィナちゃんの発言にダーリヤちゃんはそこまで言わなくても……と言うも、アルヴィナちゃんは言葉を続ける。
「それと同じくらいすごく強い。こういう状況だからこそ頼れる。だから私はあいつをサポートするだけ……きっと大丈夫……」
水筒を持つアルヴィナちゃんの手は震えていた。
「あたしがいないところであたしの話か?アルヴィナ!いい度胸じゃねえか!」
「うげっディアーナ」
心底どうでもよさそうなうめき声をわざとらしく上げるアルヴィナちゃんを尻目に、どかどかとディアーナちゃんが割って座ってきた。後ろにはユーリアちゃんもいる。
「こんばんは……みんな……」
「こんばんは」
私は笑顔でユーリアちゃんにそう言うと、ダーリヤちゃん、アルヴィナちゃんと次々にこんばんは!と言った。
「こうしていると、なんだかこの間の夜を思い出すなあ」
足りないのはイヴだけか、そう言いながらディアーナちゃんは私たちを見回した。
「さっきディアーナさんと周囲を見て歩いたけど、ぽつぽつ明かりがついていて、みんな結構起きているみたい。眠れないんだね……」
ユーリアちゃんはそう言うと、ブランケットをぎゅっと握りしめた。
「そうだねえ……怖いもんねえ。でも戦うしかないし、がんばろうね」
ダーリヤちゃんは蹴伸びをすると、空を見上げた。私も続いて空を見てみた。分厚い雲は相変わらず上空を怪しく包み込んでいる。
「きっと大丈夫よ、みんな。絶対に、勝ちましょう」
みんな黙って頷いた。
イヴはみんなと少し離れた場所で寝ていた。イヴはすやすやと寝息をたてて眠っている。気づけば、私は衝動的にイヴの頬を撫でていた。冷たい。かわいらしい寝顔だと思った。そんなことを言ったらイヴはきっと怒るのだろうな、と思ってふふっと笑った。イヴの隣に寝転がり、イヴを後ろから抱きかかえるような姿勢になった。あたたかい。私はそのまま眠りに落ちた。
……
時刻は午前4時。天候は曇り。予定通り作戦は決行された。
1~3班Aグループ、4~6班をBグループとして、2手に分かれ小型の黒きものの掃討作戦を始めた。
「イヴ、今朝のこと怒っていないの?」
「それを聞くのはもう6度目よ!いいって言っているでしょう!」
今朝目を覚ましたイヴは私が隣に寝ていることに気づいた瞬間大きな悲鳴を上げてしまった。それによって拠点は黒きものの襲撃があったのではないかと、てんやわんやになりちょっとした混乱に陥ってしまった。更にはディアーナちゃんに私とイヴは恋人なんじゃないかとからかわれて、イヴは耳まで真っ赤にして反論する羽目に。
「私は別に嫌ではないけれど、イヴはそんなに私のこと嫌いなの?」
「しつこい。いいから作戦概要を教えなさいよ」
イヴはそう言うとそっぽを向いてしまった。私は作戦概要を皆に伝える準備をした。
私たちが担当する東地区は倒壊した建物が多く、道が細くなっているところが多い。地形を有利に活用するなら、細い道へと誘い込み地雷を用いて攻撃するのが有効だろう。私は作戦概要をみんなに伝え、2班と3班に黒きものを誘導させ、1班で爆破ポイントに地雷を設置した。
「銃声が聞こえる!交戦が始まったみたい……!みんな上手く誘い込めますように……」
ダーリヤちゃんはそう言うと、目を強く閉じた。私にも銃声が聞こえ始めた。すると遠方から2班のアレクサンドラちゃんが合図を送っているのに気づいた。私たちはそれを確認すると、爆破予定地点から離れ、廃墟に身を潜めた。
あとはまた合図を確認したら10秒後にスイッチを押すだけ……けれど緊張を緩めてはいけない。そう考えていると案の定、背後から約3mの黒きものが2体現れた。私はとっさにAK-12を構え、射撃する。薬きょうが地面に散らばる。黒きものは灰霧を吹き出しながら倒れ込んだ。どうにか倒すことができたようだ。黒きものの死体が目の前に積み重なっている。
「大丈夫?!レーナ!」
1班の通信回線からダーリヤちゃんの声がした。
「ええ、問題ないわ、ありがとう」
私はガスマスクのフィルターを手早く交換した。
「アレクサンドラさんがこちらに来ました!」
「レーナ!合図後に爆破のカウントダウンを頼みます!」
ユーリヤちゃんが話し終えたと同時にアレクサンドラちゃんの声が聞こえた。その数秒後にアレクサンドラちゃんが合図を送ってきた。
「カウントダウンを始めます!」
私は通信回線を切り替え、カウントダウンを始めた。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2―――」
数を数えていると、黒い影が落ちてきていることに気づいた。見上げると黒きものが腕を振り上げている。間に合わない……!
パンパン!軽い銃声が鳴り響く。周囲の警戒に当たっていたアルヴィナちゃんが現れ、それを銃殺してくれた。
「急いで爆破を!」
「爆破!」
爆破スイッチを押すとけたたましい爆音が鳴り響いた。黒きものは爆炎に飲み込まれ、うめき声を上げている。多くの黒きものを一度にしとめることに成功した。どうやら作戦は成功したようだ。
「よし!!」
「やった!」
みんなの歓声が周囲から上がる。かすかな希望を見出し、安どした。
「さっきはありがとう、アルヴィナちゃん、助かったわ」
「お安い御用だよ!」
アルヴィナちゃんはふふんと鼻を鳴らすと得意げに笑った。
「こちらの黒きものは掃討することに成功したわ。Bグループと合流しま……」
しかし歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。地響きがする。大きく地面が揺れ、私は倒れ込んでしまった。恐ろしい速度で砂埃が立ち上っていく。爆破した地点から不規則に地盤が弱い場所から地面が陥落し始めたのだ。大きな音を立てて、道路が、建物が砕け散っていく。予想できないランダムな崩落の仕方に私とアルヴィナちゃん、そして複数の生徒たちは戸惑い、周囲が崩壊した場所に取り残されてしまった。
「アーリャ!レーナ!」
ディアーナちゃんは目にもとまらぬ速さでこちらへ駆け寄ってきてくれた。けれど間に合わない。足元を失い、重力に引き寄せられるように、私とアルヴィナちゃんは同時に穴へと吸い込まれていった。目を強く閉じた瞬間、左手首に衝撃を感じた。ディアーナちゃんが私をつかんでいた。それと同時に落下していくアルヴィナちゃんと目が合う。その一瞬は永遠のようだった。
「アルヴィナちゃ――――」
「――――――――っ!」
ディアーナちゃんの叫び声とともにアルヴィナちゃんは深い深い闇へと消えていった。
……
その後Bグループと合流した私たちはお互いの被害状況を報告しあった。私たち、Aグループの被害は、地面崩落の事故による行方不明者数4名。負傷者6名。Bグループは死者5名、負傷者4名だった。なによりBグループでは生徒を庇い、一番の主戦力のヤニーニャちゃんがろっ骨を折る重傷を負ってしまった。更には指揮の中核を担っていたジェーニャちゃんも死亡した。街にいるほぼすべての小型の黒きものを掃討できたけれど、それと引き換えに失ったものはとても大きかった。
約3時間戦い詰めだったので、一時休憩をとることになった。休憩時間は1時間だ。仮設テントには泣き声やうめき声がひしめき合っている。
「いま私たちがここで立ち止まったら、死んでいった者たちの思いは無駄になる。死んでいった者たちを受け継げるのは私たちしかいない!勝利をもって、死者への手向けとする!」
私は精一杯みんなを奮起させることに努めた。このまま士気が低下し、作戦を実行できなくなってしまったとあれば全滅は逃れられない。
私も救護に当たった。私たち1班は、2名の命を失った。1人はアルヴィナちゃん。もう1人はダーリヤちゃん……アルヴィナちゃんは地面の陥落に巻き込まれて死亡。ダーリヤちゃんは見回り中に、陥落した場所で生き残っていた生徒たちを逃がすために複数の黒きものを相手に単身で戦い、敗れ、死亡した。遺体は生き残った生徒たちが必死になって運んでくれた。
「ダーリヤちゃん……」
ダーリヤちゃんの頬に手を当てる。ケーキをおごってくれるって言ったのに……
「レナータ、こっちの手当は終わったよ。レナータ?」
イヴが私の顔を覗き込んできた。
「あっ……ああ……ごめんなさい……」
「顔色悪いよ……さっきっから全然休まないで手当ばかりしている。少し休みなよ。ほら」
イヴに半ば引っ張られるようにして私たちはその場を後にした。テントを離れる途中、丸まって泣きじゃくるユーリアちゃん、今すぐ陥落した場所に行くと言って聞かず暴れているディアーナちゃんがいた。イヴは見なくていいと言って強く私の手を引いた。
「アルヴィナとディアーナの件だけど」
イヴは開口一番そう言ってきた。相変わらず、イヴは察しがいいので困ってしまう。
「レナータを助けるときのディアーナの動きが明らかにおかしかった。こう言っちゃいけないけど、最初ディアーナはレナータよりもアルヴィナを優先して助けようとしていた。だけど最終的に体が言うことを効かず、レナータを助けたように見えた」
「その通りよ……」
イヴは目を大きく見開いて、こちらを見つめてきた。
「みんな思考調整……されているの……」
セリカの研究レポートを思い返す。この内容は極秘で、階級大佐以上でなければ閲覧は許可されない。
-中略-
白い神3期生には初の思考調整がされている。内容は以下の通り。
・黒きものに対する戦意の増強
・思考麻痺、一定の知識以上の情報の記憶制限
「最後は……”その身に変えても人間を最優先に保護をする’’」
イヴは何も言おうとしなかった。
「ヤニーニャちゃんもだけど、イヴは白木で生まれた白い神ではないから、調整を施されていない。けれど、このクラスのみんなはね、知らされていないけれど、されているの。みんなは黒きものを倒したい気持ちでいっぱいよ。たとえ怖く感じていても。戦わなくてはならないように思考が作り替えられている。そして……この場に唯一存在する人間の私を、最優先で守るように思考が作り変えられている」
「レナータはそれを分かっていて、この実地訓練に参加したんだ」
「最低でしょ」
「研究熱心なんだね」
そうじゃないでしょ!私は叫んでいた。
「みんなが守ってくれるから安心して来たのよ、ただ私の研究を進めたいというわがままでここに来た……!実地訓練に参加してから何度も何度も灰に侵される夢、自殺する夢をみた……それに何度も夜に起きては拳銃を頭に当てたの……私が死ねば、みんなから私という弱点が消えるから……イヴが初めて私に会いに来た夜は本気で死ぬつもりでいた。でもだめだった……怖かったの……私は……」
「もういい、もういいよレナータ」
私はいつの間にかイヴの前に座り込んでいた。
「最初は私は自分の研究を優先した……だけど今は誰にも死んでほしくない…………ディアーナちゃんは本当はアルヴィナちゃんを守りたかったのに、私の存在がディアーナちゃんの意思決定を奪った……!一番恐れていたことが起きてしまった……でも後悔したってもう取り返しはつかない……」
顔を上げると、イヴが手を差し出してきていた。
「じゃあ、することは決まっているよね」
「ええ」
私はイヴの手を強く握った。
……
私たちがテントに戻ると、動ける生徒たちはみんな、私たちの方へ視線を向けていた。嫌な、予感がした。
鈍い音が響いた。私をかばおうとしたイヴはディアーナちゃんに殴られ、地面に伏してしまっている。
「お前のせいでアーリャ……アルヴィナは……!!」
ディアーナちゃんは私の胸倉をつかみ、軽々と私を持ち上げた。
私はディアーナちゃんをまっすぐ見据えた。ディアーナちゃんはこぶしを上に振り上げたけれど、それをおろすことができない。白い神は人間に攻撃できないようになっている思考調整によるものだ。
「くそが!」
ディアーナちゃんは突き放すように私を離すと、こぶしを空に投げ出すと、地面を強く蹴り上げた。
「あたしらを肉の壁にしようとしていたのかよ、さすがだな。お嬢様」
ディアーナちゃんはそう吐き捨てるとその場を去った。
「すみません、お話を聞いてしまって。でも、レーナさんは、もう、何もしなくていいです」
ユーリアちゃんはそう言と、私に背を向けて、負傷した子の手当を始めた。他の子もそれに続く。
「ごめん……なさい……」
「そういうの、いいです……」
ユーリアちゃんはそれきり何も言わなかった。その場にいる誰もが言葉を口にすることはなかった。
……
主力のヤニーニャちゃんは戦闘不能になり、リーダーのジェーニャちゃんも喪ったチームであの60mもある巨大な黒きものを倒す作戦を実行することは難しく、戦況は悪化していくばかりだった。そして私はただ、みんなが次々に殺されていく様を廃ビルから見ていることしかできなかった。
ディアーナちゃんは黒きものの腕に胸を貫かれて死亡した。
ユーリアちゃんは胴を強く叩きつけられて、それきり動かない。
ニーナちゃん、マリヤちゃん、ジャスミンちゃん、アンナちゃん、アレクサンドラちゃん。知っている顔のみんなが、どんどん死んでいく。
足場を失い、地中に半分埋もれてしまってもなお、巨大な黒きものは反抗を止めず、被害は拡大していく。
「そろそろまずいかな。フィルター、切れるでしょ」
行くね、イヴはそう言って立ち上がる。
「待って」
私はイヴを止めようと立ち上がろうとしたが、バランスを崩して前に倒れてしまった。
「私があいつを殺す」
「一緒に逃げてはくれないの……」
イヴは私に背を向けたまま顔だけこちらに向けた。
「あいつを倒したら、一緒に帰ろう」
そう言うとイヴは私を背に歩き出した。
「いや……イヴ……私は……だってあなたは思考調整されていないのよ……!逃げられるのに……なんで戦うの……!」
「ごめん。何を言えば、何をすればあなたが喜んでくれるのかわからないから。私、いままでずっと一人きりだったから。きっとこうすることしかできないから」
目から熱い雫が零れ落ちた。
「なんでそんな顔すんの。あなたはいつだって笑顔のはずでしょ?辛くても笑うあなたも気持ち悪いけど、泣くレーナなんてもっと不気味だわ」
「イヴ……私は友達が何なのかわからなくて、迷惑をかけてばかりだったわ……だって今、私の方こそあなたのためにできることが何も浮かばないのだもの……」
「ふん……不気味すぎて死ぬには後味が悪いから、死ぬにも死ねないわね」
そう言うとイヴは私のいる廃ビルを飛び降りた。地上にたむろす小型の黒きものを蹴とばし、殴り、道を切り開いて進んでいく。イヴはあっという間に巨大な黒きものの前に到達するなり、黒きものの傷口を狙って射撃を繰り返した。傷口が開いていく。すると黒きものの腕がイヴを潰そうとした。
「イヴ!!!避けて!」
イヴはすんでのところで回避し、射撃を続けた。イヴの攻撃は効いているようで、灰霧を上げながらうめき声のようなものを上げている。しかし、AK-12は弾を出さなくなった。
「ちっ……」
どうやら弾薬が切れたらしい。イヴはただの鉄の塊になった銃を投げ捨てると黒きものによじ登り、素手で黒きものの傷口を引き裂こうとした。黒きものは体を大きく揺さぶり、イヴを振り払おうとする。イヴは黒きものの体に必死でしがみつきながらも、傷口を広げようとする。
「硬すぎ……それに動きすぎ!これくらいの傷我慢しなさいよ!」
イヴの唸り声と同時に黒きものの体表に穴が開いた。穴からは大量の灰霧が噴射される。イヴはそれに構わず、持って行ったありったけの火薬と手榴弾を傷口に投げこんだ。瞬間、目を刺すほどの閃光と、けたたましい破裂音が鳴り響く。
周囲一帯は静寂に包まれた。
……
「以上が第一次実地訓練の模様ですか……ひどいですね……」
「そんなことはない」
「そうですね……このデータをもとによりよい白い神を生み出すことができますから……」
「そうだ。はなから勝利など期待していなかった。あの区域の奪還作戦の予行練習は建前だ。だからこそ、此度の結果は『素晴らしい』と言える。それに人間に対して最優先で保護を行う思考調整も無事に機能していたようで何より」
「もし、機能していなかったら娘さんは……」
「もしものことなど存在しない」
「……そ、それで生存したヤニーニャとイヴ、重症の白い神たち、個人で帰還したユーリアはいかがいたしましょうか」
「再調整は難しい。ヤニーニャ、イヴ、ユーリア以前と同じ対応で構わない。ほかの白い神は処分しろ」
「了解です」
……
白葉校舎屋上。天候晴れ。時刻午前6時30分。
「やっぱり屋上にいるのね、ご機嫌いかが。『奇跡のレナータ』さん。『復活のレナータ』さんの方がいいかな?」
「その呼び名やめて頂戴……全然嬉しくなんかないわ……」
だろうね、と言うとイヴは私の隣に並んだ。
「みんな、英雄を求めているのね。療養していたゾーヤ大尉が前線復帰したときや、ヤニーニャちゃんが現れた時は、みな同じように持て囃したものだわ……でもゾーヤ大尉とヤニーニャちゃんと並ぶほど私は立派な存在じゃない…………あの戦いで私は何も……いいえ、イヴ、けがはどう?」
まぁまぁよ、と言いながらイヴは包帯で巻かれた左腕を振り回した。
「ねえ、イヴ。あれから私考えていたの……私は……戦場にまた立ちたいわ」
「どうして?」
「贖罪だから」
ふぅん、わがままかもしれないけど戦いたい~とかぬかしたら蹴っ飛ばしてやるところだったわ。そうイヴは言うと、給水タンクの上へとよじ登った。
「私は今度ゾーヤ大尉とヤニーニャが所属する予定の小隊に加わるんだけど、レーナもそこに入れてもらいなよ」
「それは……いいかもしれないわね……」
イヴは遠くの方を見ている。イヴの銀髪が沈んでいく太陽に照らされてまぶしく輝いた。
「レーナの研究は少しでも灰骸化に苦しむ人を救うためにしているんでしょ」
イヴの急な質問にたじろいてしまった。
「え、ええ……そうよ。この世界から灰骸化に苦しむ人を、それで亡くなる人をなくしたいわ」
「レーナはずっと、自分のために訓練に参加したって言っていたけど、そんなことなかったじゃん」
視界が急に歪んでいく。涙が止まらなかった。
「イヴったら……いつの間にかレーナって呼んでくれている、ありがとう。イヴ」
「……これから毎日お駄賃として牛乳のペットボトル寄越しなさいよね……」
「ええ、もちろん……」
もうすぐ新年を祝う行事が始まる。街にはヨールカが飾られ、それを雪が白く染め上げていた。